日本最大の油田のあった新潟出身の田中角栄は、エネルギー外交に並々ならぬこだわりを持っていた。その発想は「日本を産油国に変える」という卓越したものだったという。ジャーナリストの田原総一朗さん、日本経済新聞記者の前野雅弥さんの共著『田中角栄がいま、首相だったら』(プレジデント社)より紹介する――。(第1回/全3回)
東南アジア5カ国訪問に出発する田中角栄首相(左)。右は娘の真紀子さん(東京・大田区の羽田空港)=1974年1月7日
写真=時事通信フォト
東南アジア5カ国訪問に出発する田中角栄首相(左)。右は娘の真紀子さん(東京・大田区の羽田空港)=1974年1月7日

「日本は資源のない国」は本当か

「資源のない標本国、日本」

その言葉に対し、田中角栄は断言するだろう。

「いったい、日本に資源がないなんてこと、誰が決めたんだ」

そして、こう続けるに違いない。

「もっとたくさん、もっと深く掘ってみろ。ちまちま浅く掘っているだけじゃわからんじゃないか」

角栄は新潟の寒村・刈羽郡二田村(現在の柏崎市)で生まれた。

新潟と石油――。切っても切れない関係だ。2013年4月、新潟でこんな事件が起きた。

噴き出した石油が止まらなくなったのだ。まるで中東の巨大油田のような話だが、こんな出来事が新潟市内の秋葉区の住宅の敷地内で起きたのだ。石油とガスが民間の敷地から噴出、その後2年以上も止まらなくなった。

もともと石油が噴出した新潟市秋葉区の新津地区は、石油との縁が深い。『日本書記』にも「越国から燃土、燃水が献上された」とあり、その燃える土や水が採取されていたのは、この新津地区である。もっと近い歴史をたどれば、明治後期から大正にかけて新潟県内には4つの油田があり、今回石油が噴き出した新津地区はその中でも最大級の新津油田があったエリアである。1917年に、年産12万キロリットルと産油量日本一を誇った油田があった地域なのだ。

そこから石油が湧いた。掘りもしないのに、かなりの量が出たのである。1日300リットルを超える量が出る日もあり、石油は1カ月でドラム缶4本分にもなった。

「日本に油田があるかもしれない」と発想するべき

それにしても、なぜこんなことが起きたのか。

地元の自治体の担当部署や専門家に取材してみると、「噴出した石油は今、噴出してきたものではない」という。新津油田時代に掘削したものが、すべてくみ上げきれずに、地層の隙間に溜まっていて、それに何かの圧力が加わり、噴き上がってきたというのだ。聞いてみると、国も地方自治体も、この専門家の見立てにほぼ沿った説明である。

不思議な説明ではないか。1日に1リットルのペットボトル300本分の石油である。それがこんこんと絶えることなく湧き上がり、2年以上も続いたというのに、「それは昔掘った石油。それが今、たまたま上がってきただけ。油井そのものはすでに涸れている」という結論だけが早々に固まっている。「ひょっとしたら巨大油田なのでは……」という発想は皆無なのである。

「日本に油田なんてありえない。日本は資源のない国」という小学校以来の刷り込みによって、私たちは「日本で石油を掘る」「日本に油田があるかもしれない」ということを発想できなくなっている。