バルト三国などは厳しい条件をクリアして、通貨もユーロ圏に入った。かつてのCOMECON(経済相互援助会議)経済圏が、あれよあれよという間に失われたのだ。
バルト三国や衛星国がEUに入り、ロシアと自由主義陣営との境界線はモスクワに近づいてきた。冷戦時代の中立国フィンランドがEUに入り、自国であったエストニアもEUとNATOに加わった結果、ロシア第二の都市であるサンクトペテルブルクが“国境の街”になったほどだ。
プーチンは自分が“皇帝”になってからも、社会主義陣営の領域が次々に削られていくのを見てきた。残ったのはベラルーシとウクライナだけだ。
ベラルーシはプーチンが手練手管を用いて抑え込み、旧CIS(独立国家共同体)のなかで最も親ロシアの国だ。「欧州最後の独裁者」と呼ばれるルカシェンコ大統領は、自分が悪者だと自覚して、プーチンの陰に隠れている。
私がベラルーシを訪れたとき、国民の多くが「EUに入りたい」と希望していた。ルカシェンコの下では将来性がなく、EU経済のなかで活躍したいのだ。「ロシアはあくまでも貿易で儲けさせてくれる国だ」と考えるほど賢い人たちだった。
一方、ウクライナはロシアを刺激しないために中立を保ち、政権はロシア寄りと欧州寄りが交互に移り変わってきた。ロシア寄りのヤヌコーヴィチ元大統領が悪事を重ねて蓄財したのに対して、現在のゼレンスキー大統領はEU・米国にかなり寄っている。プーチンからすれば、ベラルーシはしばらく安泰だが、ウクライナは危ないのだ。
ウクライナ国民の大半は、本音ではEUと関係を深めたいと考えている。14年にクリミア半島がロシアに併合されて以降、「次は自分たちではないか」と危惧しているのだ。
一方で、ロシアに併合されたい人たちもいる。ウクライナ東部のルガンスク人民共和国とドネツク人民共和国だ。どちらも親ロシアの人が多く、14年にウクライナからの独立を宣言した。ウクライナ政府は独立を認めず、反政府組織として扱っている。
おそらく独立は、ロシアが仕掛けたものではない。ルガンスクとドネツクの人たちは、クリミア併合を見て「俺たちもロシアへ行きたい」と考えたのだ。理由の1つはウクライナ政府への不満と不信感だ。
ウクライナ政権は、クチマ、ユーシェンコ、ヤヌコーヴィチなど悪い政治家が多く、ソ連崩壊直後の頃から評判がよくない。悪い政治家の治世に両地域は愛想を尽かしたのだ。
欧米目線だけで世界を見るのをやめよ
クリミア併合も、同じ経緯だった。日本の報道では「ロシアがクリミア半島を収奪した」という印象が強いが、欧米から見た一面にすぎない。
92年からウクライナの一部だったクリミアは、14年3月に議会が独立を宣言してクリミア自治共和国となった。住民投票では9割以上がロシアへの編入に賛成した。