上流階級の夫婦の宮殿はだいたいコの字形をしていて、片方の棟にムッシュ、もう片方にマダムが暮らしています。2つの棟は真ん中でつながっていて食堂がある。夫と妻は朝、それぞれの棟で目覚めると真ん中の食堂で一緒に朝食をとりますが、そこで事務連絡をしたら夫婦生活はおしまい。ムッシュの棟には女の人が、マダムの棟には男の人が訪ねてくるわけです。バルザックの小説なんか読んでいると、朝ごはんに妻の愛人が加わる場面が出てきたりするんですよ(笑)。

ただ結婚については、フランスでも恋愛ベースではなく家と家との契約だった時代が長く、今でも所有財産を明文化するなど結婚契約を交わします。極端なことを言えば、スプーン1本まで明記する。そんなわけで、今や結婚と同棲の中間くらいの形態であるPACS(民事連帯契約)を選ぶ人の割合がかなり増えてきました。もはや法的な結婚が意味をなさなくなってきたのです。フランスはそういう風に恋愛、結婚の形を進化させてきました。

当時の日本には「恋愛」が存在しなかった

一方の日本では、もともと恋愛感情という概念自体が希薄で、明治20年に二葉亭四迷が書くまでは存在しなかった。夏目漱石も書くのに苦労したというけれど、性愛と恋愛感情の区別というのは難しく、それまでの人々は理解できなかったと思います。そもそも概念がなければ認識のしようもないし。

恋愛と資本主義は放っておいてもできるものじゃない。私の持論では、恋愛は男女が一定空間に一定時間閉じ込められない限り不可能です。だからフランスの舞踏会は格好の社交の場だった。パリで舞踏会を見た渋沢は「おお、そういうものか」と感心して、日本でも鹿鳴館や首相官邸などでの仮装舞踏会に参加しています。

後年、渋沢が設立に尽力した東京女学館。「良妻賢母を育てる」というのは建前で、実際は鹿鳴館時代に踊りと会話のできる女性を育成するために作られた学校です。当時、舞踏会なんてやっても、踊れる女性といえば井上馨夫人武子や大山巌夫人捨松くらい。急いで育てる必要があったのです。