渋沢の女性スキャンダル

59歳のとき、渋沢はいわゆる“スキャンダル”をすっぱ抜かれます。

「渋沢栄一は深川福住町4番地の自宅に大坂より連れ来りし田中久尾(28、9)という古き妾あり。日本橋浜町1丁目3番地の別宅には元(も)と吉原仲の町林家小亀こと鈴木かめ(24)なる妾を蓄(やしな)う」

黒岩涙香の発行する『万朝報(よろずちょうほう)』に妾の名前や出身地を暴かれたのです。妻妾同居のみならず、別宅に複数の愛人を囲っていたことが明らかにされてしまいます。

明治時代の雑誌ジャーナリズムは大きな発展を見せていました。黒岩は社員を使って有名人を尾行させ、何日も張り込んだり周囲への聞き込みをしたりして彼らの女性関係を暴くというスキャンダル・ジャーナリズムの走りをやっていた。『万朝報』は当時の『週刊文春』、文春砲の元祖ですね(笑)。

では、女性関係を書かれた彼が今の政治家や芸能人のように窮地に追い込まれたかというと、別にそうでもない。今ほど大事にならなかったのは、人は自分とあまりにかけ離れた存在に対しては嫉妬の情を抱きにくいからかもしれません。当時、渋沢は一般庶民には手の届かない地位の人でしたから。

渋沢の時代から大きく変わったモラル

現代ではSNSによって、有名人だろうと自分に近しい人だという意識を持ちやすくなっていると思います。自分と大差ない人間だと思っているからこそ嫉妬する。だから、不倫など特に女性やお金が絡む問題は非難されやすいのではないでしょうか。自分はだめなのに、どうしてアイツは許されるんだ、と。

また戦後70年間で日本にアメリカ的なモラルが浸透したことも大きいと思います。恋愛で結婚をし、その絆によって家族を守るというのが理想とされました。これは渋沢の時代から大きく異なります。

さらに核家族化が進んだことで、家族関係を揺るがす不倫が問題となりやすくなったのかもしれません。

ちなみにフランス的モラルは正反対。「メナージュ・ア・ラ・パリジェンヌ」(パリ風の夫婦)という言葉がありますが、どういうことかというと、結婚しても夫は浮気する。妻も浮気する。19世紀のパリの上流階級ではこれが当たり前でした。カトリック教国のフランスでは、女性は結婚により処女性を失ってはじめて恋愛ができるようになったのです。