「渋沢家の境界」を明文化

この頃、お妾さんを持つということは経済力の証明でもありました。お妾さんとその子どもたち全員に経済的援助をすることを意味していたから。逆にいえば、女性にとって、妾という立場はセーフティネットでもあったわけです。貧しいからと遊郭に身を沈めると、梅毒など性病にかかって命を落とすリスクが高かった。代わりに、お金持ちのお妾さんになって生活を保障してもらう人がけっこういたのです。

渋沢は、お妾さんの子どもに対し単に経済的支援だけでなく、きちんと養育責任を果たさなければと思っていて、優秀な部下に嫁がせたり、渋沢家一族に加えることで社会的な地位を保障していました。さらに、自分の死後起こりうる嫡出子・非嫡出子の間での骨肉の争いを懸念し、「家法」というものを定めて「渋沢家の境界」を明文化してもいます。

粋な話術と巧みな歌でモテる

そんな甲斐性もあって、渋沢はモテた。背は低かったけれど明治の人にしては珍しく弁が立ったから、芸者さんとの座でも人気だったのでしょう。

そうそう、彼は音感もよかったといいます。妻でありいとこである千代の血筋の尾高家からは、音楽家を何人も輩出しています。「青天を衝け」のテーマ曲を指揮している尾高忠明さんは実は渋沢のひ孫で、父も兄も作曲家です。渋沢は「井上とか伊藤は音痴でだめだったけど、俺はちゃんと歌えた」なんて自慢しているくらい、酒と女がいる場での歌には自信があったのでしょうね。

千代も「真の色男とは、万事に通じ物のあわれも知って居て、女子から命がけで慕われる程なのを云うのです」と言い、夫が一流の男になるには色気が必要で、それは女性との交流から生まれるものだと達観していたほど。たしかに、他の女の人にモテそうもない男を亭主にしたくないですよね(笑)。

とはいえ妻たちがいくら妾の存在を頭で理解していても、感情面ではそれを苦にすることもありました。

特に後妻のかねは晩年、ようやく悟ったように「父様も論語とは旨いものを見つけなすったよ。あれが聖書だったら、てんで教えが守れないものね!」と、笑いながら言ったと秀雄は回想しています。論語においては孔子自身が歌舞音曲を非常に重んじていましたが、当時の歌や踊りといえばまず間違いなく女性を伴った席だったのです。