中世の日本には「奴隷」がいた。明治大学商学部の清水克行教授は「わが国では古代以来、原則的に人身売買は国禁とされていたが、現実には大飢饉が起こるたびに人身売買が横行した。そうした下人は、非人間的な『奴隷』としての扱いだった」という――。

※本稿は、清水克行『室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界』(新潮社)の一部を再編集したものです。

菊を摘む若い女性
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能「自然居士」で描かれた“身売り少女”の悲劇

世阿弥(1363?~1443?)の父、観阿弥(1333~1384)が作ったとされる能で、「自然居士じねんこじ」という作品がある。

主人公の自然居士は、鎌倉時代の京都に実在した半僧半俗の説経師。彼の説法は庶民にもわかりやすい解説とパフォーマンスで知られ、彼が登壇する説法会はいつもファンで超満員だった。いわば当時のカリスマ・タレントである。

ある日、京都東山の雲居うんご寺というお寺での出来事である。この日は、寺の修繕費集めのための7日間におよぶ、自然居士スーパー説法ライブの最終日だった。境内は自然居士目当ての信心深い男女で大賑わい。そんな聴衆のなかに、死んだ両親の供養を願って、美しい小袖をお布施として持参してきた14~15歳の少女がいた。

じつは彼女は、自分の身を人買い商人に売って、それで得た代金で小袖を買い、両親のための読経を依頼しにきたのだった。両親の供養のために我が身を犠牲にするとは、あまりにも切ない。そんな彼女のお布施がわりの小袖を受取った自然居士は、一瞬でその深い事情を察知する。

「これは少女がわが身を売って手に入れたものにちがいない」。

しかし、彼にはどうしてやることもできない。小袖に添えられた手紙には、「こんなつらく恨めしい世など早く離れて、亡き父母とともに極楽の同じ蓮の花のなかに生まれ変われたら……」との哀切な思いも記されていた。