2012年8月、韓国の李明博大統領(当時)は、歴代大統領として初めて、韓国が実効支配する竹島(島根県)に上陸した。この行為は日韓関係の悪化を招き、それは現在も続いている。李大統領は、なぜ竹島問題にわざと火をつけるような行為に及んだのか――。(第2回/全3回)

※本稿は、青木理・安田浩一『この国を覆う憎悪と嘲笑の濁流の正体』(講談社+α新書)の一部を再編集したものです。

韓国大統領として初めて竹島に上陸した李明博韓国大統領
写真=Avalon/時事通信フォト
韓国大統領として初めて竹島に上陸した李明博韓国大統領(当時)=2012年8月10日

日韓友好が対立へ転換した背景

【安田浩一(ノンフィクションライター)】韓国ロビーが暗躍していた時代もありました。そういえば、九州と韓国・釜山を結ぶ日韓トンネル構想なんてのもありました。

ジャーナリストの青木理さん
ジャーナリストの青木理さん(撮影=西﨑進也)

【青木理(ジャーナリスト)】あれは統一教会も暗躍してましたね。構想自体は戦前からあったようですが。

【安田】そう。日韓トンネルを建設しようという統一教会の構想に、自民党の一部議員が呼応しようとする動きもあった。八〇年代から九〇年代にかけての自民党は、韓国ロビーなんかが行き交うなかで、たとえば統一教会から秘書を派遣されるようなこともしょっちゅうありました。

それは自民党議員にとってみれば当たり前のことだったわけです。統一教会がそれなりに力を持っていて、さまざまな人脈や資金を担っていて、それと密通する自民党が良かったと言うつもりはありませんが、まだ韓国と怪しげな分野で一定の繋がりは持っていた。

いまはそこすらも断ち切られてしまったかたちですよね。そして植民地時代を知っている人が皆無になってきている。韓国の中で日本語を話せる人は、親日家とか知日家と言われているだけではなくて、一部の人は日本のリベラル派と気脈を通じていたし、日本のことを理解してくれている人たちでもあった。

【青木】そのとおりです。反共や利権を接着剤として岸信介を筆頭とするタカ派が朴正熙、全斗煥といった軍事政権と密接につながっていましたが、一方で自民党内のハト派や社会党の政治家らも韓国内の民主化運動を支援し、そうした民主化勢力とさまざまな関係を築いていました。

日韓関係の転機となった2003年

【青木】韓国側では金大中などがその代表格で、だから金大中は保守からリベラルまで日本政界に幅広くパイプを持ち、日本の表も裏も知り尽くしていたわけです。金大中に先立って政権を担った金泳三(キムヨンサム)なども同様です。

しかし、日本で戦前・戦中生まれの政治家がどんどん姿を消したのと同様、韓国でもそういう政治家が次第に政界から消えていった。時代の流れだから当然のことなのですが、軍事政権を率いた朴正熙や全斗煥にせよ、民主化後に政権を担った金泳三にせよ金大中にせよ、これは韓国にとって屈辱の歴史が根っこに横たわってもいるわけですが、全員が日本統治下で生まれ育ち、日本語も流暢にあやつる「知日派」でした。

つまり、かつての韓国政界は保守にしてもリベラルにしても――韓国ではこれを「保守」と「進歩」と称することが多いのですが、左右双方ともに日本と太いパイプを持って日本のことを知り尽くした政治家が政権を担ってきた。そうした状況が大きく変わったのはやはり二〇〇三年です。