離婚して実家に戻った女性を待ち受けていたのは認知症の母。献身的に介護するが、兄嫁や隣近所から陰口を叩かれ、帯状疱疹や顔面麻痺の症状が。母親はパーキンソン病も発症したが最期を何とか見届けた。しかしその後、自らも指定難病に罹患し、現在は「再婚した夫と穏やかに過ごし、人に迷惑をかけないように最期を迎えたい」と語る——(後編/全2回)。
独立した女性のシルエットの背中合わせ
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この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、未婚者や、配偶者と離婚や死別した人、また兄弟姉妹がいても介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

認知症の母を全力介護も、兄嫁や隣近所の人から陰口を叩かれて……

18年前に夫と離婚し、実家で認知症の母親と暮らし始めた白石玲子さん(仮名・当時48歳・現在66歳)には3歳上に兄が1人いる。

離婚した翌年のことだ。

白石さんが母親(当時74歳)の訪問介護やデイサービスの利用を決めたことを兄に報告すると、「母さんのことで俺を煩わすことはやめてほしい」と言い放った。

白石さんは、驚きと共に怒りが湧き上がる。

「じゃあこれからは私1人で決めるから、それでいいんやね? 後から文句を言うことはないね?」

と言うと、兄は面倒くさそうに頷いた。ところが兄嫁は、車で2時間ほどかかる中、時々やって来ては、母親に対して白石さんの悪口を吹き込んだ。

「(玲子さんは)よく知らない犬の散歩仲間の言いなりになってヘルパーさんを入れた」
「何で娘なのに(パート仕事をして)親の介護に専念しないのか」

すると母親は、「兄嫁が正しい」と言うようになってしまった。白石さんの心労は、それだけではなかった。

白石さんの実家は、昔ながらの閉鎖的なムラ社会の土地柄。人の出入りがほとんどなく、隣近所のことは筒抜けだ。白石さんが離婚して戻ってきたことからパートを始めたこと、母親がデイサービスに行っていることや、ヘルパーが来ていることなど、噂話のネタにされていることは白石さんも承知の上だったが、誰も手を差し延べてくれないばかりか、「何で娘なのに(ヘルパー頼りで)自分で介護をしないのか」ということを噂していた。

それでも白石さんは、週に2回、母親がデイサービスに行ってくれることで、とても救われ、母親も楽しんでいる様子だった。

だが、近所の人から噂されていることを知った母親は、「お腹が痛い」などと理由をつけて、「行きたくない」と拒否し始める。近所の人たちには、「デイに行かないと娘に怒られるから、仕方なしに行っている」と言い始めた。

「当時の私は、常に奥歯を噛み締めていて、身内や古い知り合いはあれこれ言うけれど、犬の散歩友だちとパート仲間だけは私の味方……そう思ってやっとの思いで生きていました」

救いは犬の散歩仲間だが、母はパーキンソン病も発症

白石さんがパートの日は、散歩仲間のBさんが愛犬の「げんき」の散歩を代わってくれた。ある日、げんきの散歩を終えたBさんが白石さんの家へ行くと、玄関に母親が立ちすくみ、「ちょうど良かったBさん。動かれへんのよ」と助けを求めた。

ヘルパーの資格を持つBさんは、「お母さん、パーキンソン病と違う? ちゃんと病院で診てもらったほうがいいよ」と白石さんに助言。ヘルパーの1人もパーキンソン病を疑っていた。

ちょうどその頃、白石さんの精神状態を心配していたケアマネージャーは、「痩せすぎ(体重35キロ台)を理由に、お母さんを一時入院させてはどうか?」と提案。ケアマネージャーとヘルパーに背中を押され、2週間ほど入院させることが決まった。

2004年7月。母親は入院したが、「病院食が口に合わない」と言ってあまり食事を摂らず、さらに痩せていく。加えて、その病院の医師は一向にパーキンソン病の検査をしてくれない。「パーキンソン病なら適切な治療を受けて、早く母親を楽にしてあげたい」と思っていた白石さんは訝しがった。

しびれを切らした白石さんは、パーキンソン病の判定ができる市民病院への転院を希望。

2004年8月。母親は市民病院へ転院し、検査の結果、パーキンソン病の判定がおりた。

白石さんは必要書類を揃えて保健所に行き、指定難病認定の手続きをした。