——えっ、それで問題はないんですか?

思わず私は問うた。そのほうが重大な「問題」に思えたのである。

「いや、特に問題は……」

——そうなんですか?

「もちろんここには夫婦で入居する人たちもいます。でも旦那さんのほうに訊くと『ひとりになりたい』とかこぼしていますよ。ひとりだと寂しいけど、ふたりは鬱陶しい。そのあたりの兼ね合いは難しいですね」

——奥様とは話し合って、入居を決められたんでしょうか?

「私たちは将来について心配する度合いが違うんです。私は自分ができるうちに判断したいと考えましたが、妻はそこまでは考えていない。それにお互い、やりたいことがあるんです。やれるうちはそれぞれ好きなことをしようと……」

夫婦愛に正解はない

彼によると、夫婦の間には次のようなルールがあるという。

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・責任をもって子育てをする。
・きちんと生活できれば、それぞれのやりたいことを尊重する。

ふたりの子供を育て上げた彼ら。ルールに照らし合わせると、別居は正解ということになるのだろうか。

「実は妻も教師で、現役時代はふたりとも忙しかったんです。土日も部活動などがありましたからね。ある意味、すれ違いの生活。地方に単身赴任していた時も身の回りのことは自分でやっていたので、私はひとりでも大丈夫なんです」

——寂しくないんですか?

私がたずねると彼は小首を傾げ、こう答えた。

「ここは書斎っていう感じですかね」

——書斎?

「昔から私は家に書斎が欲しかったんです。でも安月給ではそんな贅沢はできません。今になってようやく書斎が持てた。夢がかなったという感じですね。それに住むところがふたつあったほうがいいんじゃないかと思いますよ。別荘感覚で」

定時にチャイムが鳴るこの老人ホームはどこか学校に似ている。彼にとって馴染みのある場所なのかもしれない。

——奥様も来られたりするんですか?

「来ようと思えばいつでも来られます。来たければ来ればいいんです。居室はふたりで住めるし、子供部屋だってあるんですから」

——じゃあ、いずれはふたりで暮らすことも……。

「それは考えないようにしています」

——なぜ、なんですか?

「ここで私が『来てほしい』と言うと、彼女の今の生活を『やめろ』と強要することになるじゃないですか。やれるうちはお互いにやりたいことをやる。それがルールですから言いたくても言えない……」

数学的な問題と違って、夫婦の問題は「上手く説明できない」とのこと。これも切り出すタイミングの問題のような気がしたが、ふたりの間の「真理」は知る由もない。

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