新型コロナの感染対策で、欧米は強制力のある規制に踏み切っているが、日本は強制力のない「お願い」が多い。これは「自粛警察」や「同調圧力」を招くとの批判がある。しかし、経営学者で、今年1月『日本企業の復活力 コロナショックを超えて』(文春新書)を出した伊丹敬之氏は「日本人には自粛要請に従う道徳観がある。それを否定的に捉えないほうがいい」という——。
マスク着用義務化に反対するフランスの人々=2020年8月29日、フランス・パリ
写真=AFP/時事通信フォト
マスク着用義務化に反対するフランスの人々=2020年8月29日、フランス・パリ

感染予防と産業の現場に共通する「一配慮・一手間」の強み

——著書では感染対策と経済回復のキーワードとして、「一配慮・一手間」を挙げています。あらためてその言葉の狙いを教えてください。

日本の感染が欧米などと比べてケタ違いに小さいことの背景に、多くの日本人が「一配慮」を余分に他人に対してすることと、「一手間」の余分で細かな行動をとることをそれほど惜しまないという特徴があると感じました。

公衆衛生を例にとれば、マスクをみんながするという「一配慮」、みんながしょっちゅうアルコール消毒をして、手を洗うという「一手間」です。

その「一配慮・一手間」が望ましいという道徳的判断基準が人々の間で共有されているため、外出などの行動自粛要請も受け入れやすくなっています。だからこそ、厳しい法的規制がなくても、感染防止対策が機能しているのでしょう。

私は日本の産業をずっとみてきましたが、「一配慮・一手間」は産業の現場でのベースでもあります。例えば、工場の現場で用いられてきたスローガンである「5S」(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)や現場の提案制度、小集団による品質管理などはその典型例でしょう。旅館や飲食店の「おもてなし」も同様です。

産業の強みが、感染対策の強みと共通していることは、ポストコロナの日本の経済回復ポテンシャルを考えるうえでも、大きな意味があります。

なぜアメリカでは、他人への配慮のない声があがるのか

——なぜ「一配慮・一手間」という特徴に着目したのですか。

発想の発端は、感染者数が激増しているアメリカとの比較でした。なぜアメリカでは、「マスクをしない権利がある」といった、他人への配慮のない声があがるのか、日本とどう違うのかを考えた時に思い浮かびました。

私が学長をしている国際大学の卒業式が昨年6月にあったのですが、その時に、式辞として、卒業生(9割が外国人)に「コロナの経験は、それぞれの国の社会の特徴を考えるうえで、いい経験になる」と伝えた際に、日本の特徴として、「一配慮・一手間」を英語で「One extra consideration to others, One extra action for details.」として、紹介しました。

——配慮というよりも、周りの目が気になるから感染対策や自粛をする、といった同調圧力で動いている面が強いように感じます。

自粛警察、同調圧力といった言葉で、日本の感染対策を語る人も多いのですが、違和感があります。もっと基本的なところに原因があると考えた結果が、「一配慮・一手間」という特徴です。