日本最大のドヤ街、大阪市西成区あいりん地区にある飯場の日雇い労働者は、どのような環境で働いているのか。そこで働き、『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』(彩図社)を出版した國友公司氏は、「15センチ角のガラス片が上から降ってきても、周りの労働者は意に介さなかった」という——。
解体現場
筆者撮影
底辺土木として連れて行かれた尼崎の解体現場

「訳アリ」人間が全国から集まる地下の世界

筑波大学を7年かけて卒業するも、就職できずに無職となった私が流れ着いたのは、日本最大のドヤ街、大阪市西成区あいりん地区だった。新宿都庁前のホームレスについて書いた卒業論文を出版社の編集長に見せたことをきっかけに、「西成に潜入してルポを書かないか」と言われたのだ。

車の後部座席
解体現場へ向かうバンの車内は終始無言だ(筆者撮影)

生きていくにはとにかく仕事をしなければならない。私はS建設という建設会社の飯場で働くことにした。この会社だけ募集の「健康保険」の欄に丸がついており、何となく安心だったからだ。

テレビカメラが入ることはない飯場は、想像以上に壮絶であった。

飯場――。インターネット上では「タコ部屋」とも呼ばれる。建設現場や解体現場で働く肉体労働者たちが共同生活を送る寮のことである。

英国人女性殺人・死体遺棄事件で無期懲役となった市橋達也は2年7カ月もの間、逃亡生活を送っていたが、彼が選んだ潜伏先もまた、西成区あいりん地区の飯場であった。逮捕されてからすでに10年以上が経過しているが、同地区の飯場には今でもさまざまな「訳アリ」人間が全国から集まってきていた。