23歳で指定難病を発症した妻の病状は次第に悪化。32歳で自力歩行ができなくなり、34歳で飲み込みが困難に。自身の不随意運動によるケガ防止のため24時間の拘束が必要になった。同い年の夫は妻のオムツ交換や食事、入浴の介助などを一人で行った。「妻の容体がコロナ禍で急変した時は不思議と落ち着いていた」と語る理由とは——。
ベッドの上にいる女性
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(前編の主な内容)
22歳の時に高校の同窓会で再会したのをきっかけに交際・同棲した九州在住の男性。交際後、相手の女性は脳の一部の神経細胞が失われていく遺伝性・進行性の疾患(指定難病)のハンチントン病と診断された。だが、男性は愛を貫き結婚し、話し合って妊活を決意した——。

難病だが、障害年金はおりず、医療費の公費負担も得られなかった

前編からつづく

相手の女性が指定難病と知りつつ結婚入籍した瀬戸良彦さん(仮名、現在40歳・独身)は27歳になった頃、それまで勤めていた会社を退職し、地元九州で親族が経営する小さな会社へ転職することにした。

妻はハンチントン病という疾病にかかっていたが、2人でよく相談して妊活を決意。念願かなって妊娠したため、妻の介護と生まれてくる子の育児の両立を考え、互いの実家がある故郷に戻り、親族が経営する会社を手伝うことにした。「将来のためにはどちらかの実家へ身を寄せたほうが良いだろう」と思い、妻の希望で瀬戸さんの実家に住むことに決めたのだ。

結果的に、妻は流産してしまったが、瀬戸さんは妻への献身をやめることはなかった。だが、不安な気持ちにさせる出来事が次々に襲いかかってきた。

この頃、瀬戸さんは妻のために障害手帳や障害年金などの手続きを開始。しかし、国民年金に数カ月の未払い期間があったため、障害年金はおりなかった。また、日本では2015年の難病法施行時にハンチントン病は難病に指定されたが、当時はまだ施行前だったため、医療費の公費負担も得られなかった。

ある日、妻が階段から落ちて気を失っていた

2010年8月、瀬戸さんや瀬戸さんの両親は仕事があるため、日中は妻一人で留守番となる。ある日、瀬戸さんが様子を見に帰宅すると、妻が階段から落ちて気を失っていた。すぐに救急車を呼び、検査を受けたところ、幸いコブ以外に異常はなかった。

瀬戸さん夫婦は帰郷以来、実家の2階で暮らしていた。「もう、階段の昇り降りは危険だ」と考えた瀬戸さんは、“離れ”の建築に着工する。

「今後、『どうなりそうだ』という情報を、建築士の友人に伝え、それを踏まえて設計してもらいました。『母屋と軒先が続いていれば行き来しやすい』など、友人からの意見も取り入れました」