当時の道州制の議論の中心にあったのは「関西道」という概念だった。兵庫、大阪、京都、奈良、和歌山を一体とした関西広域連合、「関西道」の必要性を私は30年前から説いてきた。GDPの規模に直せば関西圏の経済力はカナダよりも大きく、G7のメンバーになってもおかしくない。

歴史的な観光資源に恵まれ、神戸や京都には世界的企業も多い。アカデミズムや文化の発信地としては京都、大阪、奈良は申し分ない。それら三県にまたがる京阪奈丘陵には学研都市がある。大阪北区の梅田、北新地界隈はニューヨークやシカゴ、ロンドンに匹敵する世界有数の商業集積地で、芦屋や夙川などに連なる富裕層の購買力はアジアトップクラスだ。それらの要衝が縦断して4~5時間、兵庫から京都の端まで横断しても3~4時間というコンパクトなエリアにバランス良く配置されている。

そのような魅力とポテンシャル溢れる関西を一国のように運営すれば東京に対するジェラシーもなくなるし、世界中から繁栄を呼び込める。これはもともと「一つ一つではなく、関西は一つ」と語っていた松下幸之助氏の発想で、当時は「関西府県連合」と呼んでいた。それを日本全体に広げて考えようというのが、私が平成維新で提言した道州制の議論である。

関西に道州制を持ち込んで広域行政区域とし、国から三権(行政、立法、司法)を分捕ってくる――。私が描いていた関西道構想を橋下氏もよく理解していたはずだ。

しかし都構想の先にあるそうしたビジョンが語られることはなく、1回目の住民投票で橋下氏が争点化したのは、今回と同様に「府市の二重行政の解消」だった。5年前からすでに、国家の仕組みを変えるという大構想の話から行政のコストダウンという小さな話になってしまっていたのだ。

「関西は一つ」という原点に戻る必要がある

大阪市民から2度もNOを突きつけられて再び廃案となった「大阪都構想」が蘇ることはもうないだろう。道州制とは縁もゆかりもない中途半端な統治機構ができても、大阪や関西の成長に資することはない。「関西は一つ」という原点に戻る必要がある。

むしろ政令指定都市の看板が外されなくてよかった。政令市は都道府県の権限の多くを委譲される。大阪市の場合、府の権限の約9割を委譲されているのだ。大阪市を廃止したら、これを手放さなければならない。今は都道府県のあらゆる権限を法的に政令市に取り込めるようになっている。大阪市を廃止するのではなく、堺市も含めた形で政令市の強みを生かすような方向で「都構想」の議論を進めていれば、政令指定都市を抱える全国の自治体からも拍手喝采で、住民投票の結果も違ったものになったかもしれない。

(構成=小川 剛 写真=時事通信フォト)
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