前職の肩書は次第に通用しなくなった
独立後すぐに、勤めていた会社から仕事をもらえたが、新規の案件はなかなかこなかった。営業を兼ねて挨拶回りに行くと、親しくしていた経営幹部層は朝倉さんの現役時代とは代替わりをしており、相手にされない。アテにしていたわけではないが、前職の肩書は次第に通用しなくなった。
「いかに三菱地所という会社のブランドに守られていたかという事実に直面し、個人だからこそできることに切り替えていきました」
朝倉さんの場合は、自身の人脈で人と人を繋げることから始め、誠意を持ったコンサルティングで地道に信頼を得ていった。
「勉強会や交流会で出会った人を、自分の人脈と繋げて仕事にする。また、自分の提案から生じるメリットとデメリットをしっかり伝えて、あくまで選択はお客様にしてもらうようにしています。自然と口コミが広がり、相談が増えてきました」
初期に予算をかけすぎて、失敗している例を見てきた経験から宣伝広告費はゼロ。誠意を持って仕事をしている姿と「人のために、自分の経験を役に立たせる」という精神が最大の宣伝になった。
「団塊の世代が、若者にぶら下がったら大変だから。健康なうちはみんな働けばいい。80歳ぐらいまでは頑張りたい」
自身が思い描く「理想のホテル」の実現に向けた夢を語る表情は、まだまだ明るく精悍だった。
(撮影=藤中一平)