※本稿は、前野雅弥、富山篤『アジア不動産で大逆転「クリードの奇跡」』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
不動産界の「ダイハード」、宗吉敏彦という男
久しぶりである。話を聞いていてわくわくするような男に会ったのは。
77個の衛星を使って世界中を結ぶ「夢の通信システム」の構築を目指した京セラの稲盛和夫、10兆円というとてつもない規模のファンドを運営、売上高200兆円を目指すソフトバンクの孫正義。彼らが目を輝かせながら語る話は、黙って聞いているだけで胸がときめいた。
クリードの奇跡の主人公、宗吉敏彦(55)もそうだ。2009年1月9日、リーマン・ショックに巻き込まれ650億円の負債を抱えて「倒産」、いったん経済の表舞台から姿を消したものの再びアジアで復活したかと思ったら、世界的な新型コロナウイルスの感染拡大で日本に引き揚げてきた投資マネーをすくってさらなるビッグビジネスに挑もうとする。
まさに「ダイハード」。わくわく感だけなら決して負けない。稲盛や孫に匹敵する男なのだ。1年のお小遣い数千万円——。現在の話ではない。宗吉の大学生時代の話だ。宗吉はこのお小遣いを自力で稼いだ。「規格外」は学生時代からだった。
当時、宗吉は早大理工学部の学生。1984年に落第すれすれで私立武蔵高校を卒業、2年ぶらぶらした後、大学に入ってみると世はバブル真っ盛り。学生も浮かれ日々、パーティー三昧だった。宗吉はここに目を付けた。