戦後日本はあるべき形になったのか
かつての日本は、外交から軍事までを包含した戦略的思考の不足を元老の力で何とか乗り越えていた。元老が表舞台から退場すると、外交と軍事の分断が進み、各軍種の近視眼的な発想と度重なる政局によって政策がバラバラになり、硬直化していく。そして、日英同盟というタガが外れたときに、日本は軍を統率する力を失った。最終的には統帥権の独立が政争の具となることで亡国の道へと進んだ。
では、戦後日本はあるべき形になったのか。本書は日本の危うさと精神の正しさを共に指摘する。日本が危ういのは、かつての日英同盟同様、日米同盟という大きな構造、つまりコップの中で生きているにすぎないからだ。コップが取り払われたとき、自律的に戦略的思考を持つことができるのか。有事が訪れたとき、政府はシビリアンコントロールを発揮できるのか。著者は相当懐疑的である。
6年かけて育った国家安全保障会議やスタッフの積み重ねは、平時の訓練にすぎない。有事において頭脳と筋肉と内臓とをつなぐ「脊椎」としての国家安全保障会議が機能できるのか。いまだコップの中にあることが許されているうちに大きく視野を広げ、戦略的思考を養い、シビリアンコントロールを一から学ばねばならない。
とはいえ、本書には日本の精神の部分において楽観も宿る。戦後日本は、米国の価値観をただ受け入れて発展したわけではない。普遍的価値観は過去の日本の思想にも宿っていたとし、未来へ大きく開けた発想を提示している。