本当の修行は、山ではなく、里にあるんです。誰もコントロールできないものが2つあります。それは大自然と人間関係です。出かけようとして悪天候のとき、雨に文句を言う人はいません。これはこれでしょうがないと受け入れて、傘をさして外に出かけるはずです。でも人間関係はそうはいきません。意地悪な人と出会ったら、「なんだあの人!」と思ってしまいます。そのとき、天気を受け入れるように、相手や外的状況にとらわれず、穏やかな気持ちでいるために修行をするんです。

その境地を目指したいのであれば、日常生活でイライラしない努力をしてみましょう。イラッとしたり、ムッとしたりして、心の針が揺れることがあります。それを放っておくと、ネガティブな気持ちが増幅して恨みや憎しみを抱えるようになり、人生が悪い方向へと引き寄せられます。だから針が少しでも揺れたら、瞬間的に元に戻すのです。意地悪をされても、「相手を許してあげよう!」と振り切ってしまう。

それを繰り返していると、つらいこと、苦しいことが起きても、「よっしゃ、やってやるぞ」と乗り越えていく心が育っていきます。すると物事がいい方向に転がるようになり、得することが増えていくものです。やがて、「昔のイライラしていた自分に戻りたくない」と思えてきます。

日常のなかで心の器を広げていく

今思えば、自分が荒行をしていたころは、肩に力が入って成長のスピードが遅かった気がします。それが今は、日常生活の中で心の針を戻すことと慎独の2つを実践しているだけで、ぐんぐん内面的な部分が成長していることを実感できます。

何とはない日常の生き方のなかで心の器を大きくしていって、すべてを受け入れられるぐらいに広げていく、とイメージするとよいかもしれません。

小さな修行は「習うより慣れろ」です。やろうと思ったら、今からでもやってみてほしいと思います。そして、「行を終えたら行を捨てよ」「修行して修行しぬいて、修行したことも忘れてしまえ。万が一悟ったとしても、悟ったことすら捨ててしまえ」。これは私が師匠から教えてもらった修行の基本です。どれだけ高い山に登ったか、何度山に登ったか、というのは修行の本質ではありません。このことを忘れずに、心の針を戻すことや慎独にぜひ取り組んでみてください。

(構成=鈴木 工 撮影=永井 浩)
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