この映画では、そもそも人生が暇すぎる富裕層の人びとによって劇が展開されるので、それぞれの恋や悩みはビビッドなのだけれども、お気楽感が抜けない。生活の苦しさや実務的な悩みは、ある意味で、人間の純粋さを阻害する要素なのだろう。婚約者を振り切ってマフィアの前科者に恋をしてしまうスカイラー(ドリュー・バリモア)も、まったくの世間知らずのお嬢さんであるがゆえに誤解に基づく恋をする。

解決されない物思いがあったほうが幸せなのか

上昇志向で満足できているうちはまだいい。出世を、お金を、目指しているうちは。でも、結局自分はつまんない人間なんじゃないかとか、人生に求めるものが自分でもわからない、とか、あの人はなぜ僕のもとにとどまってくれなかったのだろう、といった真摯で素朴な悩みから逃げられるわけではないので、お金や安定を手にすれば必ずそうした問いに向き合わなければならない。

ヴォンも、傍から見れば理想の生活を送っている女性だ。

彼女がカウンセラーに相談していた理想の男性云々をめぐる悩みは、ファンタジーが型どおり現実になることであっけなく消えてしまう。いささか拍子抜けしてしまうのだが、逆にヴォンにとって解決されない物思いがあったうちのほうが幸せだったのではないかと思わせる。

ウディ・アレンと踊るゴールディ・ホーンがパリで宙を舞うシーンは、映画史に残る名シーンなのだが、それもこれも人生が一瞬の満足や、郷愁や、永遠の欠乏をあらわす断片でできていることを私たちに思い出させてくれるためにあるかのようだ。その夢のようなシーンはウディ・アレンの見ている夢であり、ゴールディ・ホーンが彼のつくった世界の中で安んじてたゆたう夢だ。

まあひっくるめて言えば人生いろいろあるけれど、暇だと酒を飲むしかなくなる、ということのような気がする。素朴に悩む&酒でもちろんよいのだけれど。

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