デザイナーとしてニューヨーク5番街のトランプタワーに住んでいたアケミ・S・ミラーさんを支えたのは、どんなときにもそばにいてくれる最愛の夫だった。しかし、アケミさんはある日、単身で日本へ帰国する。数億円に及ぶ資産を捨ててまでも彼女がニューヨークを離れたかった理由とは――。(第4回、全5回)
※写真はイメージです(写真=iStock.com/Ultima_Gaina)

NYでのキャリアを支えてくれた最愛の夫

ニューヨークで25年間活動してきた私ですが、渡米する前は日本できもののデザイナーをしていました。日本のきものは日本の女性としてきちっと着こなしたいと思います。しかしそのきものを現在に生かす方法として、きものからインスピレーションを得た、洗練された美しいドレスをデザインし始めました。

その作品200点だけを持ち渡米したのが1989年の春のこと。ワーキングビザの取得から、アトリエや会社の設立、プロダクションの生産体制まで全ての準備をこなし、渡米後わずか1年で、念願のニューヨークコレクションにデビューすることになりました。その年にデビューしたデザイナーの中で1番の売り上げを出し、『WWD』やニューヨーク・タイムズ、CNNなどで“Welcome to newface.”と大きく取り上げられました。

仕事に邁進しつつ、アメリカではプライベートでも大きな出来事がありました。私の人生最愛の夫、ロイとの出会いです。場所は知り合いのパーティー。私たちは共通の趣味も多くすぐに意気投合し、なんと2回目のデートで彼にプロポーズされました。

でも、そのとき私には結婚の意思はありませんでした。すでに一度離婚を経験していましたし、滞在ビザも自分で取得していましたので、結婚の必要性をまったく感じていなかったのです。そのことを正直にロイに告げると、彼は「結婚してくれないんだね。でも、君のそばにいるよ」と優しく言ってくれました。

夢だったトランプタワーに入居した

ロイは私と一時も離れたがりませんでした。朝、私をアトリエに送って行き、その後彼は刑事事件のトライアルロイヤー(法廷弁護士)のため、職場の裁判所に向かいます。お昼になったらアトリエに来て、私と一緒に近くのお店でランチをします。その後、ロイはまた裁判所に戻ります。夕方になったら彼の事務所に電話をかけて、急用がなければ私のアトリエに来て、私の隣の部屋で仕事をします。

基本的に18時ぐらいになったらロイは家に帰るのですが、私が仕事を終える頃になるとまた迎えに戻って来ます。それが毎日でした。たまに私がタクシーで勝手に帰ったら叱られていました。

短期で遊びに行くのはアトランティックシティーのカジノが多かったです。ニューヨークからドライブして2時間ちょっとで着きますから。ロイはルーレットが大好きでした。別に賭け事だけをやるのではなく、昼間はボードウォークを歩いたり、ジムで運動してマッサージを受けたり、とにかくリフレッシュしていました。

他にはパリにあるお気に入りのレストランにふらっと食事に行ったりもしました。カリブ海の島々に泳ぎに行くなど、ニューヨークの日常から離れて、疲れを取るための手段です。今もそうですが、私はその頃もスケジュールが入らない限りお休みを取らないので、定期的にバケーションを無理やり作っていました。