男社会を甘く見ていた

石原は、おそまきながら、そういった男社会の仕組みやルールを、本やゴルフを通じて学ぼうとしたのだった。だが、それらはやはり特効薬にはならなかった。

石井 妙子『日本の天井 時代を変えた「第一号」の女たち』(角川書店)

「私なりに男を、男社会を理解したいと思ったし、できたつもりでいたけれど、やはり私は甘かったんだと思う。男たちがどれだけ出世というものにこだわり、血道を上げる生き物か把握しきれていなかった。男は女が考える以上に、出世するためには手段を選ばない。私の想像を超えていたのよね。足の引っ張り合いですよ。自分も渦中に身を置くようになって、男社会って醜いなって、つくづく思った。

日本は役職にいる人が実力を発揮していない場合が多い。何もしようとしないのよ。実力を発揮した結果として、役職を得るならいいけれど、仕事に対する熱い思いや行動はまったくなくて、ただ役職への執着だけが肥大化している、という人がとても多い。能力のある人が足を引っ張られて、凡庸な人が役職に就いたりもする。そういう人は役職に就くと、もう何もしない。ただ役得を享受するだけ。それで組織もダメになる」

「欲しいと思った幸せには全部、手を伸ばせばいい」

石原は市民運動のほか、米寿を過ぎても消費生活アドバイザー関連の仕事や広告会社の企画編集に携わった。長男夫婦とともに暮らし、孫にも恵まれた現在、人生を振り返って何を思うのかを最後に聞いた。

「やっぱり、人間は自分の思う道に進んで、やりたいことをやりきらなくては後悔が残ると思う。諦めることは簡単ですよ。若い人には諦めないで済む方法を考えて、思うように進んでいって欲しい。我慢なんてしないでいいし、欲しいと思った幸せには全部、手を伸ばせばいい。私はそうやってきた」

特別な才能があったわけじゃないという。ただ、大陸で育ち、前向きな姿勢が身に付いていた。世間の価値観に合わせるのではなく、常に自分と向き合い、自分にとっての幸せを追求し続けた。楽天的だったし、「私がやらねば誰がやる」の精神で、ブルドーザーのように道を切り拓いた。そのために周囲から誤解され、軋轢を生んだこともあったが、後悔することは何もない、と、きっぱり言う。