遺品整理を前に立ちふさがるいくつかの謎

こういう場合、専門の片付け業者に依頼するのも1つの手だろう。しかし、故人がそれなりの資産を遺したのであればともかく、2人の子供を私立大学にやった望登子の世帯には、金銭的なゆとりはない。夫は4年後に定年退職を控えているから、自分たちの老後の蓄えすら心もとない状況だ。

そんな背景をあらかた理解したところで、きっと読者諸氏は察するに違いない。本作がユーモア小説の皮を被った、迫真のシミュレーション小説であるということを。故人の生々しい生活の痕跡と残滓(ざんし)に立ち向かうというのがどういうことか、本作を通じて誰もが思い知らされるに違いない。

とにかく計画的に、できるだけ効率よく整理を進めなければならない。膨大な遺品を前に「安物買いの銭失い」と文句を言ったり、遺された靴のセンスをなじったり、姑に対して生前の鬱憤を晴らすかのように愚痴り続ける望登子。

そこでふと、何気なく手を伸ばした炬燵に、不自然な温もりが残っていることに彼女は気づく。誰もいないはずの部屋なのに、なぜ?

さらに人の良さそうな隣人女性から、姑からウサギを預かっているとの申し出が。まるまると太り、ぼろ切れのように汚れたウサギを前に、望登子は思わず疑心暗鬼になる。この隣人はもしや、事情を知らない自分をだまし、扱いに困ったペットを押し付けようとしているのではないか、と。

遺品整理の険しい道に、何やら不穏なムードが漂い始めた――。

「大切な思い出」との熾烈な戦い

本作がもともと「小説推理」に連載されていたことを踏まえれば、そうした思わぬ出来事の数々に、ミステリー的展開を期待するのは間違いではないのかもしれない。しかし読み進めるにつけ、この物語の真髄はやはり、遺品整理を通して得られるさまざまな気づきと発見にあると痛感させられる。

パートの合間にマンション通いを続け、悪戦苦闘する望登子の姿を見ていれば、誰しも自身の遺品(持ち物)に思いを巡らせることになるだろう。「いつか何かに使えるかもしれない」という品の数々が、後に家族を困らせる元凶となる可能性は高い。

そうでなくても遺品整理とは、「もったいない」という気持ちとの戦いだ。そして、さらに厄介なのが、「大切な思い出」に対する感情であることを、本作はリアルに教えてくれる。

ある日曜日、夫と共に遺品整理にマンションを訪れた望登子。しかし、姑の実子である夫は感傷を優先し、何でもかんでも残しておきたがる。これが遺品整理の大きな障壁になる。たとえば、押入れの段ボール箱の中から大量の給与明細を見つけたときのことだ。

「すげえなあ。親父が青森から上京したての初任給から40年分が取ってあるみたいだ」

経年でヨレヨレになった給与明細を見て、「思い出に少しは取っておいてもいい」と望登子は提案するが、夫は心外そうな顔をする。

「あのさあ、親父は一生懸命働いて俺やお袋を養ってくれたんだよ。青森から単身出てきて、そりゃあ苦労したと思うよ」

だからすべて捨てられないと言う夫。一事が万事この調子なのだから、これでは片付くわけがない。思わぬ“敵”の出現といったところだ。