「なぜ、日産では同じ歴史が繰り返されるのか」。カルロス・ゴーン氏着任の13年前、日産の広報課長だった川勝宣昭氏は、そう振り返る。日産の「絶対的権力者」がその座を追われたのは、ゴーン氏が最初ではないからだ。川勝氏は著書『日産自動車極秘ファイル2300枚』(プレジデント社)で、7年間の戦いの記録をまとめた。日産という組織に巣食う「負のDNA」とは――。

※本稿は、川勝宣昭『日産自動車極秘ファイル2300枚』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

カルロス・ゴーンと“塩路天皇”

「なぜ、日産では同じ歴史が繰り返されるのか」

塩路一郎氏(写真=時事通信フォト)

カルロス・ゴーンの報酬過少記載容疑による逮捕、それに続く日産自動車会長職解任の報に接したとき、私のなかでそんな思いが去来した。日産がルノーと資本提携を結び、ゴーンが“新しい主人”として着任する13年前、日産の広報室の課長職にあった私は、当時日産の経営を蹂躙(じゅうりん)していた1人の絶対的権力者に戦いを挑み、会社から放逐していたからだ。

ゴーンの追放劇は検察という国家権力の力を借りた形だが、私は同じ30~40代の同志の課長たちとともに自分たちの手で1979~86年の7年間におよぶ戦いの末、勝利した。倒した相手の名は塩路一郎といった。日産を中心に系列部品メーカー、販売会社の労働組合を束ねた大組織、日本自動車産業労働組合連合会(以下、自動車労連)の会長の職にあった。

日産圏の23万人の組合員の頂点に立ち、生産現場を牛耳って、本来なら会社側が持つはずの人事権、管理権を簒奪(さんだつ)し、経営にも介入するほどの絶大な権力を誇り、「塩路天皇」と呼ばれていた。政界とも太いパイプを持っていた。その権力者に戦いを挑むのは、アリの一群が巨象を倒そうとするようなもので、常識的にはとうてい勝ち目はなかった。

労組に逆らうととんでもないことになり、会社を追放される。だから、長いものには巻かれろ。多くの社員がそう思っていた。しかし、本当にそれでいいのか。間違っていることは間違ったこととして正したい。われわれの戦いは、企業社会のなかにあっても、人間としていかに生きるのかという「生き方」を問う戦いであった。

繰り返される独裁体制

相手方の牙城は難攻不落を思わせたが、ゲリラ戦を仕掛けてゆさぶり、次いで組織戦を展開した。その7年間の戦いの軌跡を『日産極秘ファイル2300枚』と題して出版する最終準備をしていたさなか、ゴーン逮捕の一報が入ったのだ。

「なんたる巡り合わせか」

私は一瞬、気持ちの整理ができなかった。

塩路一郎による独裁体制が崩壊し、異常な労使関係が正常化され、まさに“整地”されたうえにゴーン革命は成り立った。われわれの戦いがなければ、ゆがんだ労使関係は温存され、「日産リバイバル・プラン」の再建策は思うように進まなかっただろう。

ところが、その再建の立役者であるゴーンが今度は絶対的権力者として経営を壟断(ろうだん)するようになった。これは日産の治そうにも治しきれない宿痾(しゅくあ)なのだろうか。われわれの戦いの日々が走馬灯のように脳裏を駆け巡るなかで私はそんな思いにとらわれた。

私の手元には、当時、極秘で日々記録し続けた戦いの記録が約2300枚のファイルとなって残されている。それをここに紐解いてみたい。