親と子で介護に対する考えが食い違うケースが増えている。高齢になった親は子を当てにしているが、子は「かかわりたくない、鬱陶しい」と避けたがる。社会学者の春日キスヨ氏は、実際に介護に苦しんだ家族の実例をあげながら、介護について「親子で早めに話し合うべき」と警鐘を鳴らす――。

※本稿は、春日キスヨ『百まで生きる覚悟』(光文社新書)の第3章を再編集したものです。

倒れた後、同居の息子家族が関わらないOさん

Oさんは95歳。1923年(大正12年)生まれ。夫は1年前に死去。自分は離れに、本宅に息子(65歳)夫婦が住む。80代後半まで社会活動にも参加し、92歳までは子どもに頼らず家事を担い、所有する貸家の管理もした「元気長寿者」。だが、93歳の時、病気で倒れる。その際、息子が面倒を将来的にも見てくれるものと信じ、自分名義の預金通帳、土地家屋の権利書、実印などいっさいを渡した。しかし、退院後、息子夫婦が関わりを拒否し、同一市内に住む長女(70歳)が通って世話をしながら、介護サービス及び自費負担のヘルパーを利用し、在宅生活を継続。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/Pablo_K)

このOさんの場合も、最初に倒れた93歳の夏、発熱が続いているのに気が付かず、無理をし続けて、重篤な状態になっての入院だった。その後、病状が軽快し、いざ退院という時に、長女から「今の時代は施設に入らないで、在宅で暮らすこともできるよ。母さんはどっちがいい?」と聞かれたOさんが、在宅を望んだことで、本宅に住む「跡取り」息子家族との間に亀裂が生じた。

経済的に余裕があるOさんが、介護保険サービス利用料の超過分を自費負担してでも自宅で暮らしたいと望んだのに対し、息子夫婦が反対したのである。

自宅介護は叶ったものの自由がきかない生活に

長女「『母さんが自宅で暮らしたいと言っているから、そうしよう』と弟に言ったら、『家に帰るなんてあり得ない、金もあるんだから施設だろう』って。弱った母の世話なんて鬱陶しいと感じているのがありありで。どうも息子というのは逃げ腰で、『施設に入ればいいのに』という感じでね」

そういう経過で、結局は、息子が管理するOさんの通帳からヘルパーなどへの介護サービス利用料を支払い、娘が週2回通う形での在宅生活となった。

その中でOさんが陥ったのは、自分の自由になるお金がいっさい無いことによる不自由と、息子(とりわけ息子の妻)への不満をかこつ日々だった。

長女「ヘルパーさんらへの支払いは、お金を管理する弟がすることになったんですが、母と相性の悪いヘルパーさんが辞めたりすると、弟が『あんたが悪い』と母を責めるんです。怒られると母はシュンとして、そのショックからなかなか立ち直れない。それに母は、通ってくる私が不憫で、私に小遣いを渡したい。でもそれができない。力関係というか、自分のお金なのに自分のお金でないという面があって、『情けない、情けない』と嘆いて」

Oさん「まあ、2人とも離れを覗こうともしない。お金も、私たち夫婦が貯めたお金で、息子の腹は痛まないのだから、不自由しないくらい渡して(くれて)もいいのに。息子らからすれば、私がいることで、余計な金を吐き出している気がするんじゃないかと思うんです。昔は優しい子だったのに、こんなになるなんて……」