高校を辞める人はデリケートな一面がある

都司嘉宣・元東京大学地震研究所准教授

【都司】家の外に出られないことはありましたか?

【森】それはなかったです。

【都司】私の娘は高校を辞めた後、近所の人と会うことを嫌がり、外にはあまり出なくなったのです。親の立場として、この子が家から出ることがいつまでもできないことを思うと、耐えられなかったです。そんなことを娘に背負い込ませるなんて。

【森】そのお気持ち、わかるつもりです。

【都司】経験されているから、実感があるかと思います。そこで私は自宅から少し離れたところに、ワンルームのマンションを借りました。15歳だった娘をひとりで生活させるようにしたのです。そうでもしないと、外に出ることができないような状態でした。ずいぶんと考えた末の決断でした。

【森】先生やお嬢さんにとって、キツイ日々だったのでしょうね。

【都司】私と家内は心配でした。携帯電話が普及する前の頃で、連絡がすぐにはとれない。週に数回は、その部屋へ行き、話をしたり、食事をつくったりもしていました。

娘は大検の予備校に通うようになったのですが、人への恐怖心があり、その後も順調に進んだわけではないのです。それでも、1回の試験で11科目に合格しました。当時は今より科目数は多かったのです。

【森】そうだったのですね。

【都司】娘にも言えるのですが、高校を辞める人の中には、ややデリケートな一面がある人がいるように感じます。心が繊細すぎたり、ある意味での弱さがあったりするのかもしれませんね。

【森】繊細な子がいるように私も思います。だから、家から出ることができなくなったりするようにも感じます。

【都司】「私は高校を辞めた。どこが悪い!?」と言える人は、ほとんどいないでしょう。

【森】それが言える人は、学校に通うことが嫌で辞めた人かもしれませんね。

【都司】「高校は?」などと本人にあえて聞くのは日本の社会の悪いところであり、余計なおせっかいなのかもしれません。それを言われると、本人は外に出ることができなくなるものなのです。

【森】どこかに出かけるとき、誰かに会ったらどうしようかと思うと、家から出られなくなってしまいがちですよね。そのようなことは、私も少しありました。あの頃は、いいことはなかったです。

【都司】やはり、心が沈んだ時期はあったのですね。しかも、高校を辞めてしまうと、世間の時の流れがわからない。高校にいたら、この時期にはセンター試験の申し込みが始まる、などと知ることができます。家にこもっていると何の情報も入ってこなくなる。

【森】世間の動きから遅れていくような感じになります。

【都司】みんながどんどんと前に進んでいるように見える。ところが、その動きや情報が入ってこない。高校を辞めると、それを強く感じるでしょうね。(次回に続く)

【取材後記】
この対談の数日前、都司先生からメールをいただきました。このようなことが書いてありました。
「学校でいじめが発生したとき、なぜ教育長と校長先生があやまるのでしょう? いじめをした本人があやまるべきです」
読者の皆さんは、どのように思われますか?
都司嘉宣(つじ・よしのぶ)
1947年、奈良県生まれ。灘中から麻布中へ転校後、麻布高校を卒業。現役で、東京大学(理科一類)合格。工学部土木工学科卒。東京大学大学院理学系研究科修士課程(地球物理学専攻)修了。1982年、35歳で博士号(東京大学)。1984年、37歳で東大地震研究所の助教授に。NHKなどの番組で地震や津波などの災害のわかりやすい解説をすることで、知られる。2012年3月に64歳で定年退官。現在は、深田地質研究所(文京区)の客員研究員などを務める。東北大学の研究者らとともに調査をし、論文を精力的に書く。
(ジャーナリスト 吉田典史=取材・構成)
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