お弁当作りで敵を討つ

そんなわけだったから、中学に上がるとお弁当は自分で作るようになった。前日の夕食からかろうじて緑のものや色のきれいなものをお弁当用に取り分けておいて、朝自分で、かつて横目で見て学んだ“可愛い女子弁当”のフォーマットをまねて作る。そうこうするうちに家族の普段の食事も作るようになり、失敗を経験しながら一通りの料理はこなせるようになって、料理はすっかり趣味になった。

娘が生まれて、今度は自分が母親としてお弁当を作ることになったとき、私は完全にあのときの“ママの手塩にかけられて育つ可愛い女の子”を再現した。娘が私の母校の付属幼稚園に入ると、娘の髪をツインテールにしてリボンを結び、手作りの通園バッグに、小物で飾り立てたお子様ランチのようなお弁当を持たせた。運動会のお弁当を作るときなどは、異様なこだわりを見せ、アドレナリンがほとばしった。前日にお弁当の設計図を本当に描くほど「人に見せても恥ずかしくない見栄えのいいお弁当」を次々と学習しては作り、私は、敵討ちをしたのだ。

娘のためと言いながら、私はあの頃の「小さな環ちゃん(私)」のために、可愛いお弁当を作り続けた。可愛くない絶望弁当と、それを作る「共働きのお母さん」を恥じて、体で隠すようにして食べていたあの日々の敵討ちをするため、その頃の私は専業主婦として、周りの視線のために存在する見栄えのいいお弁当の設計図を方眼ノートにせっせと描いた。

そしてある日、突然、飽きた。たぶん、あの頃の哀しみが十分癒やされたのだと思う。見栄えの良いお弁当を作り続けることが「良いお母さんであること」だという思い込みが、蒸発したかのようだった。私は専業主婦をやめ、仕事を始めた。すると、娘のお弁当は自然とシンプルになっていった。周りの視線のために存在するお弁当ではなく、その日の娘のおなかを地味でもきちんと満たすためのお弁当へと変わっていったのだ。