2000年初頭、リコール隠しやダイムラーとの提携問題で一度は地に落ちた三菱ブランド。しかし、金融危機が業界を直撃した後、長年の希望を背負った電気自動車がにわかに世界へと走り出した。
三菱自動車は2010年末から仏プジョーシトロエングループ向けにもアイ・ ミーブの供給を始める。欧州11カ国への本格輸出を予定、15年をメドに世界の生産規模を5万台以上に引き上げる計画だ。
EVを取り巻く状況は、市販を決断した05年とは大きく様変わりした。オバマ米大統領のグリーンニューディール政策をはじめ、日本では鳩山政権が20年までに「温室効果ガス25%削減」という目標を掲げた。世界はEVに、過剰なまでの期待をかけるようになっている。
すでに、三菱自動車と同時に富士重工業が「スバル プラグイン・ステラ」の販売を開始、エコカーに出遅れた日産自動車は5人乗りの小型車のEV「リーフ」を2010年秋に日米欧で発売する。カルロス・ゴーン社長は「20年頃、世界の自動車市場の1割にあたる約600万台がEVになる」と強気の見通しを示す。
さらに、トヨタやホンダも2010年以降米国市場を中心にEVを投入するほか、独フォルクスワーゲンや米ゼネラル・モーターズなど欧米の主要メーカーも相次いで参入を表明。11月4日まで、千葉・幕張メッセで開かれていた「東京モーターショー」では、三菱自動車がEVを利用した「ミーブ・ハウス」を提案したのをはじめ、出展各社が未来のモビリティ社会を想定した最先端EVを世界に先駆けて参考出品するなど注目を集めた。
「競合相手が多いことはお互いに励みになる」と、益子は歓迎するが、先陣争いはにわかに激しくなっている。
益子の胸算用では一つのビジネスとして成り立つ損益分岐点は「年間3万台以上」という。しかし、トヨタやホンダのような売れ筋のHVもなければ、既存のガソリン車を見ても人気車種が少ない。長年、新車開発のための投資を抑制してきたツケが重くのしかかっている。生き残るためには、EVを収益事業の柱に育て上げるほかに選択の余地がない。
思い切ったリストラでようやく黒字転換した三菱自動車だったが、金融危機の影響で09年3月期は再び548億円の最終赤字に転落。冷え切った世界の自動車市場は各国の「エコカー支援」で一時の混乱は収まったとはいえ、本格回復の兆しは見えてこない。今期(2009年)は300億円の営業黒字を見込むが、円高が続けば2年連続の赤字も余儀なくされる。
三菱グループから延命のための手厚い融資を受けても資金繰りの不安は解消されない。それでも益子は「危機慣れしているところは復活が早い」と、平常心を失わない。EVもこの先4~5年は“走る広告塔”の役割でしかなく、業界再編の駆け引きの目玉となることはあっても、稼ぎ頭に育つ可能性は少ないだろう。
「かつて試作車で四国EVラリーに出場していたとき、道路崩落で回り道をしなければならなくなった。バッテリーの航続距離が心許なくなり、上り坂ではエアコンを切り窓を開けて節電するほどでしたが、ふと気がつくと風の音や鳥の声がすごく近くで聞こえる。バッテリー切れを気にしつつ、自然はこんなにすがすがしいんだ、と思ったものです」
吉田は、こうした体験を、困難克服の原動力としてきた。電気自動車はまだこれからの技術であり、幾多の難関が待ち受けている。が、困難を乗り越えてここに至った今、克服できない理由はない。
「正直、これほど大騒ぎになるとは思わなかった」と益子は言う。2010年4月からは個人向けにも販売予定で、すでに購入希望者の予約が始まっている。
「補助金を受けても価格(459万9000円)はべらぼうに高い。芸術作品ではなく、一般に普及させるにはユーザーが納得できる価格にすることが必須条件」と言い切る益子の頭の中には“一番乗り”という余裕ではなく、先頭ランナーの使命と不安がよぎる。
(文中敬称略)
※すべて雑誌掲載当時