脳科学者の中野信子さんは自分のことを“偏屈”“気難しい部類”と表現する。その気難しさを許容してくれるような相手はめったに見つからないという中野さんが行きついた「やっかいな自分」との付き合い方とは――。

※本稿は、中野信子『脳の闇』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

「かわいい」いちごが苦手

子どもの頃は、いちごを食べるのが苦手だった。当時のいちごがすっぱくて、練乳をかけて食べなければ子どものおやつとしてはちょっと、というくらい糖度が高くなかったということもあるけれど、そもそもいちごの持つイメージが苦手だった。

赤い色、女の子らしいイメージ。「かわいい」の象徴とされるようなフォルムや色彩の持つ、王道を行く感じも苦手で、どこかで敬遠するような気持ちが抑えきれなかったことをよく覚えている。いちごのイメージと、自分のセルフイメージとがあまりにかけ離れていたからだろう。極端な言い方だけれど、私が食べてはいけない食べ物なのではないか、とさえ思っていた。

これはただの食べ物の話ではない。生まれ持った性向と、育てられ方とが綯交ないまぜになって、メインストリームを選べなくなるという現象の話である。自分には、誰もが望みそうな王道の何かを選ぶことに大きな抵抗を感じるという特性がごく幼い頃からあり、特に母親はそれにかなり戸惑っていた節がある。人の選ばなさそうなものが好きで、人と同じであると言われることが嫌いな、偏屈な子どもだったと思う。

イチゴ
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家族との折り合いが悪かった幼少期

もともとそういう生まれつきの性質はあったのだろう。けれども、その偏屈さは家族との折り合いの悪さから、年齢が上がるごとにますます強くなっていったのだ。

女の子扱いされることが嫌いだった。幼稚園の頃、大人になったらなりたいものに「およめさん」と書いた子を心底、軽蔑していた。子どもの思うことであるし、今はそういう風に考えることはないのでご容赦いただきたい。けれど当時の私にとっても、なぜ、そんな感情が自分に湧くのか、不思議で仕方なかったのだ。

なにかするたびに、お嫁にいけないねえ、男の子だったらねえ、と言われた。当の男の子たちは、どうも私よりはずいぶん出来が良くなくても、褒められているようだということも漏れ聞こえてきた。男の子だったら、私は、もっと違う人生を送ることができたんだろうか。誰に似たんだろうねえ、とも頻繁に言われた。

折り合いの悪い人とは距離を取ってよい

家族の誰とも仲良くなかった。両親からさえ遠巻きに見られていた自分を、どう扱えばいいのかもわからなかった。問題に目をつむって過ごすことができるほど器用でもなく、頭が悪くもなく、なぜ生きているだけで息苦しいのか、毎日毎日そんな閉塞へいそく感に襲われて、そこから抜け出すことができるのは本を読む時くらいだった。

けれど私の読む本は、母親が暗に望んでいたような、女の子の読みそうなかわいらしいものではなく、原子爆弾の作り方だとか、怪奇小説、ホラー、ミステリーといったものだったので、彼女をひどく落胆させてしまったと思う。そんなものを読むなんて頭がおかしいんじゃないのと真顔で心配する母親を、なりたいものに「およめさん」と書いた子と同程度に残念に感じるくらいには互いに距離があった。結婚するというのはこういうことなのかな、と幼な心に思ったものだ。もしかして、それをすれば私も、もっと思考を鈍らせ、いちごを何のためらいもなく、食べられるようになるのだろうかと。

そんな自分が後年、結婚することになったというのは驚きだが、結婚して12年が過ぎたいま思うことは、いかに血のつながりがあったとしても折り合いの悪い人とは距離を取り、自分の領域を尊重してくれる人と過ごすことがどれほど大事か、ということだ。

距離を置いて向かい合って立つ二人の足元
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自分の扱い方を教えてくれる人の存在

今はいちごも食べられるようになったし、いちごジャムも、アイスクリームのストロベリー味も食べられる。ただ、私はときどき、昔の感覚がフラッシュバック的に戻ってくることがあって、いちごの食べ放題といったところにはあまり行くことができない。夫となった人はいちごが好きで、夫のほうが美しいし、性格的にもやわらかで、女性らしい。けれど、私のそういう部分を見て、彼は残念がったり私を責めたりすることはなく、ただ好きなものを食べに行こうよと言ってくれる。そういう、難しい自分の扱い方を教えてくれる人がいたというのは大きかった。自分にとって王道の何かを選んでよいのだ。自分は、自分のことをもっと大事にしてもいい。もう少し時間はかかるかもしれないが、これを何も考えず、自然にできるようになりたいものだと思う。

好きなものを頼んでいいよと言われたとき

なんでも好きなものを頼んでいいよ、と言われたときに何を選ぶかで、その子がどういう扱いを受けてきたかわかるよね、と友人が言った。この人も、親との折り合いが悪かった。まだ子どもの時分、あまりに理不尽な扱いに耐えかねて、母親を背中から刺したという。その後しばらくして、母親は自殺したそうだ。

私の話もしばしば聞いてもらうのだが、以前、母親に対する激しい憤りを露わにしてしまったとき、できるだけ距離を置くのがいいよ、自分が言えることはそれくらい……と俯いてしばらく黙り込んでしまったことが印象に残っている。

怒った母親におびえる子ども
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メニューの中で一番安いものを選ぶタイプ

結婚相手から、メニュー表の一番安いほうから選ぶよね、って言われたんだよね、と友人は続けて言っていた。これって、その人がどういう扱いを子どものころに受けていたかに由来するんだと思う、親に迷惑をかけてはいけない、自分が負担だと思われてはいけない、と無意識に気を遣ってそういう風にするんだよね、と。

この振る舞いには、いわゆるアダルトチルドレン的な傾向が強く表れている。機能不全家庭において、子どもが犠牲を払わされ、健全な発達が阻害されて、ある類型をもった人格を身に着けてしまうという現象がしばしばみられる。大人になってからであっても、自分がそれに当てはまるものだと気づいて、何らかの形で癒すことができる状況にあるのならいいが、そうでない場合は苦しい。

周囲の人に恵まれているときはいいのだが、他人を操作するタイプの人に出会ったときにその標的とされて被害を受けやすい。自分の苦しさや痛みに目を瞑ることに慣れ過ぎているためにそれに鈍感で、搾取の構造を固められ、気づいた時にはもう遅いのだ。

もし私が詐欺師であったなら、“メニュー表の一番安いものを選ぶタイプ”というフィルタを掛け、罠を仕掛けるだろう。無論、私はそういうことを他人に対して平気でできる性格ではないので、実際にはやらないわけだけれど。

新興宗教の信者ほど落としやすい

学生時代に知り合った人で、もうやり取りのない男性が言っていたことを今でも思い出すが、新興宗教の信者で、熱心に取り組んでいる女ほど落としやすいんだよ、本当に面白いほど釣れる、とまるでゲームか何かの話をしているように笑ったことがあった。そんな風に人を見るんだなこの人は、と頭の芯が冷たくなるような感覚を持った。

ただ一方で、自分の意思よりもみんなの意思を優先することを評価される場所にいて、その居心地が悪くないと感じている人物なら、すこし強めに押せばその人は意のままになるかもしれないな、ともたしかに思ったのである。

自分を粗末に扱うことに慣らされ、搾取されることがあなたの存在意義だと教えられて、そこから逸脱することを許されてこなかった。私にも若いころはそんな部分があったかもしれない。誰がお金を出すのかとは関係なく、誰の顔色もうかがわず、メニューの一番安いほうから、ではなくて、自分の好きなものを自分に適切な量だけ選ぶ。たったこれだけのことが、できる人とできない人がいるのだ。

そして、その二者の間には大きな隔たりがある。自分を粗末に扱わない、という態度を身に着けることは難しい。けれど、それをひとたび身に着ければ、自分をリスクから遠ざけ、自分は大きな価値を持つものだと、自信をもって言うことができる。

メニューと書かれた黒板
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気難しく感覚が過敏な私の場合

どちらかといえば、というかむしろ明らかに、自分はかなり気難しい部類に属する人間であると思う。うっすらと馬鹿にされ続けながら維持しなければならないような、ベタベタと近過ぎる、毎日が同じ繰り返しを前提としているような閉塞的な関係は、自分に向いていない。その気難しさを許容してくれるような相手はめったに見つからないし、見つかったところで、それ以前の相性の問題もある。

気難しくしようと思ってしているのではなく、相手に合わせるためのやる気を出すことが不可能なのである。「この相手に合わせることによるメリットはコストに見合わない」と、勝手に脳が判断するわけだが、そう脳に判断されたらもう、それ以上のことはできなくなってしまう。私は無駄なことに労力を割くのが難しい。脳の体力がないのだ。そうしようとしてそうするわけではなく、そうする筋肉がもともと存在しない、というようなものだ。それほど、無理なのだ。

気難しさと感覚の過敏さはどこかでつながっているようにも思う。例えば、私は未だに素焼きの器を触ることができない。タルカムパウダーも好きではない。その触感そのものも好きではないし、その上、自分は真っ白です、と涼しい顔をしながら、そこにある潤いを貪欲に奪っていくというありようが、どうも気に食わない。

性分が似ていた母娘

母親が過敏な人間であったから、私がかんの強い子であったとするならば、それは母親自身がそうだからで、まぎれもない親子の証として彼女も自らの性分を呪うべきものであったはずである。もしそうでなかったとしたら、彼女の愚かさは私の責任ではあり得ない。因果律が逆転するならあり得るけれど、さすがにそれがわからないほど自分は愚かに生まれついてもいない。これは、実は不幸なことだったのかもしれない。

中野信子『脳の闇』(新潮新書)
中野信子『脳の闇』(新潮新書)

そして他罰的な大人に合わせて自己犠牲的な振る舞いができるほど、私は表面的な共感や親切心に対する抵抗が薄くはなかった。これも、残念と言えば残念なことだったのかもしれない。こういう基準が互いに交点を持つことがないまま、血縁があるというだけでどちらかに合わせるべきだと社会から圧を加え続けられる関係というのはもう、まともな神経では耐えられないと思うのだが、どうして多くの人は見ないふりができるのだろう。

自分はいい人です、をアピールするための、表層的ないい人の仮面ほど気持ち悪いものはない。相手の事情を考慮するという発想すらなく、相手の存在は100%、自分がいい人であるための道具として使われている。もちろん、社会的にはその人が悪いのではなく、気難しく生まれついている私がもう完全に悪いのではある。

けれど、一度その気持ち悪さを感じてしまうと、その人とまともに触れ合うことは難しい。話すこともきつい。実際に蕁麻疹じんましんが出てくるレベルできつい。私は認知だけでなく身体も気難しくできていることを、自分で思い知ってまた悲しくなってしまう。自分は常にいい人であると思いたい、そう世間にもアピールしたいという1ミリも傷つきたくないタイプの人は、私に近づかないほうが良いと思う。

腕にできた蕁麻疹をかく人
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人が人に見えない

私にとって、人が人には見えないことも多い。もちろん視覚は生きているので顔は見えている。けれど、顔よりもその人の感触で相手を見てしまうことが多い。こういう病気を定義することができるのではないかとさえ思う。実際、相手を見て触覚が惹起され、そのせいで関係がうまく築けなかったり、叫びだしたくなったり、時には蕁麻疹さえ出るなんて、健常とするには私はやや外れているのだろうとも思う。

もちろん、相手が満足するいい人の仮面なぞ、自分の気持ち悪ささえ抑えられれば、一瞬でいいなら簡単につくることはできるだろう。けれどそれを、意志の力をもって長期間、保ち続けることは難しい。