病院と製薬会社向けに、文書を管理するクラウドサービスを提供しているアガサを経営する鎌倉さん。社会の役に立ちたいという思いを10年以上抱えながら、かんたんには実現できなかった起業。重かった一歩を踏み出し、資金難にあえぎながらも走り続けた原動力は――。

女性が働くことへの風当たりが強かった

「のどかだけれど、保守的な田舎町で生まれ育ったために、女性が仕事をすることに風当たりが強く、大学への進学も反対されるような周りの風潮に生きづらさを感じていました」という鎌倉さん。

アガサ (Agatha Inc.)代表取締役社長 鎌倉 千恵美さん
アガサ 代表取締役社長 鎌倉 千恵美さん

国家公務員として中央官庁に入省したときも、その後大手企業のITシステム部門に転職したときも、男性も女性も関係なく、思いきりできる仕事だからと選んだ。胸の中には、「できることなら、社会に役立つサービスを自分で手がけてみたい」という思いを灯していた。

医療分野に携わるようになったきっかけは、MBAを取得するために米国の大学に社費留学したときだ。医療機器ベンチャーでインターンを経験したことから、薬や医療機器の研究開発に興味を覚え、帰国後は医療分野向けのサービスを提供する部署で働きたいと、異動願いを出した。

そんなある日、担当先の病院で目の当たりにした、治験現場の現状――。それが、その後の鎌倉さんの人生を決めることになる。

いくつもの段ボールに入れられた大量の書類

担当先の病院で耳にしたのは、大量の紙書類による煩雑な事務手続きに悩まされているという悲鳴だった。

鎌倉 千恵美さん

治験関連の書類は、いくつもの段ボールが積まれるほど大量になる。それらを仕分けして、チェックして、最後は溶解処分にすることまで考えると、コストも労働力も無駄遣いをしている気がした。

「こういう課題こそ、ITの力でどうにかできるのではないか」と思って、開発担当者に話をしてみると、すでにシステムは開発されているという。ただし、その販売価格は2億円もするというのだ。

治験に関する書類は、慎重な取り扱いが必要になる。人の命に関わることだけに、容易にデータが改ざんできないように、厳格なルールも設けられている。そのルールを踏まえたシステムを構築するには、当時の技術環境では、億を超える莫大な費用を必要とした。それほど高額となると、資金が潤沢な大病院でもなかなか手が出ない。だからこそ、現場の誰もが効率化を望みながらも、それまでのやり方を変えられずにいたのだ。

煩雑な事務手続きは、新薬の開発スピードにも影響を与えてしまう。新薬の完成を待ちわびている患者さんのためにならない。今はだめでも、いつかこの現状をどうにかしたい――。

鎌倉さんの心に、使命感のような想いが芽生えたのは2007年のことだった。

ある日突然、全社員解雇の衝撃

数年後、米国のベンチャー企業ネクストドックスが5000万円で治験書類を管理できるシステムの提供を始めた。高額ではあるものの、それまでの2億円と比べたら4分の1の破格値だ。「この価格なら売れる」と考えた鎌倉さんは、思い切った行動に出た。旧知の間柄だったネクストドックス社の社長に直接掛け合って、2011年に日本支社を設立。代表に就任したのだ。

予想通り、提供価格が安くなったことでシステムに興味を示してくれるお客様が増え、日本支社は順調に業績を伸ばしていった。

ところが、2015年7月、突然足をすくわれる出来事が起こった。米国の親会社が買収され、日本支社の閉鎖と、全社員の解雇が一方的に通告されたのだ。すでに決定事項だという無情な言葉に、抗うすべは何もなかった。

どうしようもない――。受け入れるしかない現状を悟り、鎌倉さんは自ら採用した日本支社の社員一人ひとりに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。そして、見捨てられた形になった日本市場のお客様に対する責任感に苛まれた。

「日本のお客様へのサポートはどうなるのだろう。自分の言葉を信じてシステムを導入してくれたのに、このままではサービスが宙に浮いてしまう。前向きに検討を進めてくれていたお客様もいる。どうにかしないと、という思いがありました」

さまざまな葛藤の末、「これは長年くすぶっていた起業のチャンスかもしれない。今こそやりなさいと、神様が後押ししてくれたんだ」と気持ちを切り替えた鎌倉さんは、起業を決意してアガサを設立。解雇通告から3カ月後の2015年10月のことだった。

解雇されたエンジニアとともにチームを結成

鎌倉さんの起業の支えになってくれたのが、仲間の存在だった。

提供できるシステムがなければ、ビジネスが成り立たない。同じく解雇された親会社のエンジニアに「一緒にやってくれないか」と声をかけた。技量が分かっているので、安心してシステムの開発を任せられる。鎌倉さんの熱意を受けて、フランス在住のフランス人とチュニジア人、日本在住のスウェーデン人という3人の優秀なエンジニアが仲間に加わってくれた。

折よく、世界的にインターネットが普及して、秘匿性やセキュリティを保ちながらネット経由でデータをやり取りできる環境が整ったことも追い風になった。オンライン上で利用できるクラウドサービスとして提供すれば、大幅なコストダウン化が図れる。それだけ多くの人に使ってもらえるはずだと、確信は高まった。

4人の役割分担として、鎌倉さんがプロジェクトマネジメントと営業を担当し、3人のエンジニアは開発に注力。こうして、海をまたいで手を取り合った多国籍チームは、自分たちのクラウドサービスの提供に向けて動き始めた。

成功を信じながら、無給で走り回った1年半

アガサのビジネスモデルは、毎月定額の利用料を払うことで、自由に使用できるサブスクリプション型だ。できるだけ多くの人に活用してもらいたいという思いから、医療機関向けに設定した料金プランは1ユーザーあたり月額490円。間違いなくニーズはあるし、使ってもらえれば、良さを実感してもらえるはずだという自負もあった。

鎌倉 千恵美さん

サービスの提供を開始してまもなく、以前取引していた大手大学病院が、早々に導入を決めてくれた。幸先のいいスタートに、社内は大いに沸いたけれど、その後の契約は簡単にはいかなかった。

ワンコインの利用料では、ユーザー数を増やさないと立ちゆかない。しかし、治験の文書管理という特定のニーズに対応したシステムだけに、ターゲットは治験をやっている病院に限られる。信用を積み重ねながら、数カ月を費やして、地道に契約を増やしていくしかなかった。

そうしているうち、ランニングコストがじわじわと資金繰りを脅かし始めた。退職金を元手とした最初の資本金が早々に底をついてきたので、経費節約のために自分の給料は全てカットすることを決めた。

「幸い、結婚して家族がいたので、生活面は助けてもらいました。それに、サービス内容に自信があったので、資金調達をお願いすればどこかが出資してくれるはず、なんとかなると楽天的に思い込んでいました。今振り返ると、なんとも無謀でしたね」

新米社長の行動力は並外れていたが、資金調達のやり方は根本的に間違えていた。サービスの良さをどれだけ訴えても、現場のドクターならともかく、治験の事情を知らない人には響かない。何のためにいくらの資金が必要なのか、数字の根拠を出さなければ、相手も援助のしようがない。当時は、そんなことも知らなかった。

いたずらに時間がすぎていくことに焦りを感じながらも、「このサービスを提供する意義を分かってくれる人はいるはず」と信じて、次から次へと訪ね歩いた。どうにか、医療分野に詳しいベンチャーキャピタルに巡り合い、1度目の資金援助を受けられたのは、来月には資金がパンクするというギリギリのタイミングだった。

有り難かったが、必要な資金には届かず、急場をしのいだにすぎない。2回目の資金援助を取り付けて、十分な運転資金を確保するまで、鎌倉さんが無給で働いた期間は1年半にも及んだ。

出社日は月2回、全社員リモートワーク

その後のアガサは、医療機関向けと製薬会社とで料金プランを差別化するようにするなど、さまざまなサービス改善と地道なセールスを経て、安定的に業績を伸ばしている。

「社員の半数が外国人なので、仕事でのやり取りはほとんど英語です。ただ、ネーティブではないので、シンプルな英語でストレートに言わないと伝わらない。自然と、物事を率直に言い合うようになりました。そのスタイルのまま、日本人同士でも透明性の高いコミュニケーションを心がけています」

今では製薬会社を対象に、ヨーロッパや米国など、海外にもサービス販路を拡大。社員も24人に増えた。日本社員は8割が子育て中の女性だ。

女性に限定して選んだわけではないけれど、求人募集でやってきたのは女性ばかりだった。出社日は2週間に1回。毎日の業務は、受付業務もカスタマーサポートも含めて、全社員がリモートワークという環境が、仕事と子育てとの両立に悩む女性にとって魅力的に映ったのだろう。

「朝礼代わりに、毎朝9時にはネット会議をして、近況を報告し合っています。話し合う必要があればチャットツールを使っていつでも話ができますし、隣で仕事をしているのとあまり変わりません」と鎌倉さんは笑う。

今後は、さらにサービス改善を図り、社員のニーズに応えてオフィス環境を整えることも考えているという鎌倉さん。ピンチの後にチャンス有り。持ち前の行動力を武器に、その言葉どおりの未来を切り開いてきた女社長は、5年目に向けてさらなる飛躍を見据えていた。