キャリアを変えることはリスクです。決断を後悔するかもしれません。それでも新天地に飛び込んだ女性たちがいます。なぜその一歩を踏み出すことができたのか。連続インタビューをお届けします。今回は、株式会社侍の荒川あゆみさんのキャリアについて――。

※本稿は、「プレジデントウーマン」(2018年4月号)の掲載記事を再編集したものです。

株式会社侍、鍼灸専門学校生
荒川あゆみ
さん 34歳 転職2回

大手広告代理店で中央官庁を担当していた

大手広告代理店で中央官庁を担当していた荒川さん。傍(はた)から見れば給与も高く、やりがいもある理想的な職場だが、実はセクハラとパワハラに悩んでいたという。

(左下)手帳からのぞくのは、人体の重要なツボの一覧表。学生時代に友人からもらったペンケースは、今でも愛用。(右中)鍼灸専門学校で、担任の講師から指導を受ける。現在3年生。国家試験を控え、気合が入る。

「仕事ってこういうものもセットなのかな。ここにはずっといないかもと感じていました。でも、私は何をしたいのかと自問しても答えは出なくて……」

2年後、東日本大震災が発生。自宅待機の指示が出る中、余震におびえながら薄暗いオフィスでプレゼン資料をつくり続けた。そのとき、ふと思った。「一体、私は何をしてるんだろう……」

この疑問は別の大企業に行っても解決しない。それよりも、地域で活動する人、NPOの人、信念を持って起業した人たちの話を聞きたいと思い、いろいろな人と交流したという。

当時はシェアハウスに住み、荒川さん以外の人はみな、起業したりフリーランスで働いていた。そのことも、キャリアの見直しに影響していたのかもしれない。

「辞めようと思っているんです」と会社の上司に伝えると、「ゆっくり考えてみたら」と、ゆるめの部署に異動させてくれた。

だがその頃、思いがけないことが荒川さんの身に起こる。

若年性の緑内障と診断され鍼灸師の資格取得を決意

「若年性の緑内障と診断されたんです。将来的に失明する可能性もあると言われ、『これは新しいことを探せってことだな』と、鍼灸(しんきゅう)師の資格を取ろうと決めました。実は、子どものころに東洋医学の治療院で病気がよくなったことがあって、興味があったんです」

資格を取るならいつ始めようか、と考えていたところで妊娠、出産。育休中に「この子に誇りを持って話せる仕事がしたい」と、鍼灸専門学校の受験に踏み切った。会社に通学可能な働き方を相談したが折り合わず、結局、退職した。

午後だけ働ける職場を探していたところ、知人が元陸上競技選手の為末大氏が経営する会社を紹介してくれた。職種はメディア担当。「それなら、広告会社での経験が活かせそう」と応募した。

「鍼(はり)の仕事って面白そうだねと、子育てしながらの資格取得を応援してくれる職場です」と笑顔で話す荒川さん。

「最近は長時間労働で体調を崩してしまう方も多いので、そんな方の力になれるような鍼灸師を目指します」

22歳:友人と起業
25歳:大手広告代理店の仕事は楽しかったが、セクハラとパワハラで心が弱る
27歳:余震が収まらない中でプレゼン資料をつくり、自分の仕事に疑問を持つ
28歳:失明の可能性を医師に指摘され、鍼灸師の資格取得を考える
30歳:長女を授かり、最高にハッピーな状態に
31歳:時短で勤務できる会社に転職。鍼灸専門学校に通い始める