プロフィール年齢不詳、でも実年齢40歳でブレイクした女優・吉田羊さんと、22歳年下のアイドルとの恋愛が報じられた。アラフォーの私たちは、“アラフォーの星”・吉田羊になりたいか?

なぜアラフォーの星が「自分の息子ほど若いアイドル」に行くのか

吉田羊さんは、所属事務所「おらんく」の看板女優だ。プロフィールページを見ると、誕生日は書いてあるが年齢は伏せてある。

アラフォーの私たちは、吉田羊になりたいか?

……「なりたいか」以前に「なれるのか」の問題じゃないのか厚かましい、という現実的だが野暮なツッコミは脇に置いて、考えてみよう。現実から逃避して妄想の世界にちょいと旅するのは、多忙なアラフォー女性のたしなみである。

さて胸に手を置いて考えてみる。「私たちは、実力・容姿ともに兼ね備えた年齢不詳の女優として実年齢40歳にして大ブレイクし、数多の映画、ドラマ、CMで活躍し、その生き方を女性ファッション誌にフィーチャーされ、20歳も下のジャニーズアイドルと7日間お泊り愛を報じられた、現代の“アラフォーの星”、吉田羊になりたいか」?

「なりたいよ、なれるもんならなりたいに決まってるじゃん!」という鼻穴全開の叫びと、「いや、別にそんなに……なんですかこのテーマは、プレジデントなのに」と首をかしげながらのつぶやきが一斉に聞こえてきそうだが強引に進めるぞ。ちなみに私は「や~、あの容姿ならそりゃなりたいわ~。でも20歳下のジャニーズくんは、どう考えてもナイなぁ」というのが正直なところ。ジャニーズファンではないというのが大きいが、それ以上に大きいのは20も年下だと本当に自分の子どもとほぼ同い年なので心理的には犯罪レベル、という現実である。あぁ、夢がない。

父と娘くらいの歳の差カップルはよくある話だが……

でも、よくいるじゃないですか、自分の娘と同じくらい若い女性と付き合ったり結婚したりするオジサン。よくやるな~、むしろなぜ双方に脳のブレーキがかからないのかな~、やはり愛の前に年齢など関係ないのかそうなのか、人間って業が深いぜムムム、などと思うのだけれど、これはどうやら趣味の問題でしかないらしい。とあるアラサー女子が「私、昔はオジ専で、21の時に45の既婚者と付き合ってました。彼は私の父よりも年上で、彼の息子さんは私と3歳しか違わなくて、今考えると我ながらよく付き合ったな、って」と笑っていた件や、50にして25歳の教え子と再婚した大学教授の話など思い起こすに、ふむふむ、まあ確かに社会的に「そのマッチングはどうかなぁ」と異論を挟む向きもあるにせよ成立しているケースは多いし、好き嫌いは別として、そこら辺にあるのだ、「父と娘ほどの歳の差カップル」は。

では逆転して、「母と息子ほどの歳の差カップル」という言葉がもたらす響きを味わってみよう、と目を閉じる。……なんだか岩下志麻が出てくるぞ(映画『魔の刻』ご参照のこと)。ううむ、個人的にはなぜか「いや、そこに行かなくても他に選択肢はあるだろう」「アタマ冷やせ!」「ダメ、絶対」な感じしかしない。この背徳感というか禁断のナントカ、もはや何かの冒涜とまで感じられるのはなぜなのか。「母と息子ほどの歳の差」はいったい何を冒涜しているのというのか。そしてそれは、私たちの文化による刷り込みなのか、あるいは本能的なものなのか。

父と娘くらいの歳の差カップルはよくある話。祖父と孫娘くらいの話も時々あって驚かされるが、男女逆となるとこれはかなり珍しい。

少年たちが「男臭い」ワケ

先日、面白い話を聞いた。思春期(第2次性徴期)に入った少年たちはホルモンバランスの変化で体臭が変わり、「男臭くなる」のだが、そのニオイを母親は特別に臭いと感じるのだそうだ。それは、近親相姦を防ぎ、母が息子を性的な対象として見ないための生理的な働きなのだという。自分の血を分けた息子にそういった関心を抱かないための仕組みがちゃんとあるとは、自然界って本当に親切に、よくできているもんだなあと感心する。

だからなのか、私は自分の子と同じくらいの年齢の若い可愛いイケメンを見ても、母の心境にしかならない。アイドルの顔を見ると、その母親のことを想像してしまう。「ふむふむ、これはお母さんがニュアンスのある和風美人で、そのDNAの影響が強いのだな」「あぁ~、この子のお母さんは相当ハデな顔立ちだろうな。しかも性格もハデそうだ」「おお、若いのに食べ方が綺麗だぞ、きちんとしたしつけを受けて育ったのだろうなぁ」「語彙が豊富だなぁ、家庭内の会話のレベルが高いのだろうな」。自分に子どもがあると、それをベンチマークのようにして、その世代の人々を見るようになる。すると、恋愛を目的とした関心対象からは自然と外れるのだ。

だからよく考えると、単なる年下婚といったレベルではなく、自分に娘がありながら、娘世代の(あるいはさらに若い)女性と交際する男性や、自分に息子がありつつ息子世代の男性と交際する女性は、「かなりのもの」だということになる。自分の子と同性で同世代の誰がしかと恋愛関係に陥る、何かしらのリミッターを外した「魔性」とか「魔女」とか「マニア」とか、「マ」のつく話になってくる。

吉田羊は母じゃないから、22歳の美形男性アイドルと交際しても、別におかしくはない。むしろだから強烈に感じさせられるのだ。女優・吉田羊は、実年齢42歳にして、母でも妻でもなく、生涯「女」である人生を選んでいるのだと。

女優・吉田羊という生き方が示す「現代アラフォーの振れ幅」

さて、日本のアラフォーなる年代の女に、これほどの生き方の振れ幅が許容された時代、社会的承認が与えられた時代が、これまであっただろうか? 女の価値は24までという「クリスマスイブ説」やら、30過ぎたら女の「賞味期限」、35でもはや「消費期限」だ、だから35歳超えの女性求人など存在しないのだともっともらしいお題目など、かつての諸説によればアラフォーなんて完全に腐った果実、「廃棄ボックス行き」扱いだった。

やたらと崖っぷちで人が殺されて温泉に浸かる2時間枠のサスペンスドラマや、ロマンティックを超越してサイコな昼ドラではなく、日本の家庭の皆さんが家族で見るようなゴールデンタイムの番組に数多のアラフォー女優がフィーチャーされ、活躍している現在。ルックスだけではない、感情と頭を持った「人物」として描かれ、「イタい」のではなく「素敵な」鑑賞の対象として成立している現在。崩れていない体とシワのない顔だけが画面上に許されるのでなく、維持しようとする努力の中に顔を出す、年齢を感じさせる曲線を「醜い」ではなく「美しい」「味がある」と表現できるようになった現代。そういえば私たち女は、上の世代よりもだいぶ広い選択肢を手にしているのではないか。自分の母親が40の時、彼女たちにここまで自由でいる力はあっただろうか。

したがって、私は思うのだ。娘ほどの若さの女と交際しスキャンダルになる俳優たちがさんざん存在するのと同様に、息子ほどの若さの男と交際してスキャンダルになる吉田羊は、現代の「自由な力を持つ女」の筆頭だと。技術のおかげで肉体の若さを維持し、情報のおかげで感性の若さを維持し、自分の稼ぎで男におごり、自分の部屋へ連れ帰る。スゴイなぁ、羊ちゃん。羊ちゃんならそれができるし、似合う。だから羊ちゃん、どんどん行くところまで行って、同じアラフォーの私たちに夢を見せて欲しいのだ。『アラフォーは吉田羊の夢を見るか?』、答えはたぶん、ちょっとくらいイエスだ。

河崎環(かわさき・たまき)
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。