「日本人が日本をまだまだ知らないように感じます。」と語る浅生亜也さん。ブラジル育ちのピアニストから一転、現在は「美しい日本」を探し出し、ホテル再生事業を行っている。彼女を突き動かしたのは、日本への望郷の思いだった――。

恋しかった日本の四季

ブラジル・サンパウロで育ち、アメリカで学んだ元ピアニスト。それがなぜ畑違いの業界に飛び込み、クリエイティブなホテルウーマンに変貌したのか。

アゴーラ・ホスピタリティーズ 代表取締役社長CEO 浅生亜也さん

浅生亜也さんが率いるアゴーラ・ホスピタリティーズは、疲弊したホテルや旅館を再生させて運営している。大阪の堺や守口、東京の浅草、長野の野尻湖など個性的な進出地を選び、特にインバウンド需要で成長中の企業だ。社のビジョンは「美しい日本を集めたホテルアライアンス」。このビジョンには浅生さんが人生で培った経験と感性、そして日本への思いが詰まっている。

父の仕事の関係で9歳から16歳まで過ごしたサンパウロ。子どもの高い適応力で言葉は1年ほどで覚えた。

「でも、日本への望郷の思いが消えませんでした。サンパウロは一日の中に四季があるような気候ですが、私は日本の四季が恋しかった。日本語の活字にも飢えて、時々日本のお菓子が届くとパッケージに記された日本語を何度も読み返したものです。インターネットが気軽に使える現在とは時代が違いますからね」

幼少時代に母の希望で始めたピアノは、最初からプロを目指す教育方針。ブラジルでも「ピアノ漬け」の日々を送った。

「私はすでにレールの上に乗っていて、降りる、という選択肢など考えられなかった。ただ、サンパウロは音楽とアートと色彩にあふれた街で、私にラテン系のリズム感や感性を育んでくれた大切な場所です。でもそれは、後から考えればそうだった、とわかることね」

その後、アメリカの音楽大学に留学。コンサートも催していたが、「社会に出て人と話して気分転換したい」と、シェラトン・ホテルでアルバイトをした。これがホテル業界との鮮烈な出合いとなったのだから、人生はわからない。

「日本人が日本をまだまだ知らないように感じます。弊社のホテルがメディアとなって、埋もれていたり、忘れられていたりしたけれど、本当は素晴らしい場所を紹介していきたい。地域再生とインバウンド、その両輪で各地を活性化させる企業として大きく成長したいです」http://www.agorahospitalities.com/

「ホテルって“舞台と楽屋”がある仕事場で私にとって馴染みやすかったんです。裏でおもてなしの努力をして、表ではなんでもない顔でお客さまと楽しく会話する。毎日がエキサイティングで面白くてやりがいがありました。アルバイトながら、どんどん重要な仕事を任されるようになって、じっくり考えた結果、ホテル業界で私は生きる、と決意しました」

シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテルの支配人に誘われ、20年ぶりに帰国。以後、現場で経験を積んだあと、ビジネスの基礎を学ぶために米国公認会計士資格やMBAを取得し、ホテル業界での足場を固めていく。そしてイシン・ホテルズ・グループ在籍時に20軒以上のホテルの取得とリブランディングに関わった経験が、「ホテル再生」によって価値を掘り起こす現在の事業につながった。

「ホテル取得の際、私がその土地と空間で何を感じたか、を大切にしてリノベーションのコンセプトを決めています」

望郷の思いで見つめていたからこそ、日本の美しさを海外観光客に伝える“翻訳力”を持つ。さらに宿泊特化型から旅館まで多様な形態を束ねるからこそ、それぞれに埋もれている独自の価値が見えやすくなる。ゆくゆくは、自社の宿泊施設を泊まり歩くと日本の豊かな魅力を体験できると、内外のお客さまに認識されるグループにしたいという。ビジネスが軌道に乗るまでの苦しい時期、浅生さんはアクセル全開で突っ走っている。

【写真左】アゴーラ・プレイス浅草は宿泊特化型で東京観光の外国人に人気。フロント前に気の利いたアメニティやお土産をそろえ、必要な分を購入してもらう。【写真中】ご縁の感謝を伝えたいのでハガキを常に持ち歩く。【写真右】日本の伝統や行事を室礼(しつらい)を通じて日々勉強。出張のお供はこうした本。
浅生亜也(あそう・あや)
アゴーラ・ホスピタリティーズ 代表取締役社長CEO。1968年大阪府生まれ。ブラジル・サンパウロで育つ。南カリフォルニア大学ソーントン・スクール・オブ・ミュージック音楽学部ピアノ学科卒業、英国国立ウェールズ大学経営学修士(MBA)取得。ホテル業界で経験を積み、2007年アゴーラ・ホスピタリティーズを設立。同年より現職。