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1回の出戻りも含め、4回目の転職で、昨年、外資系コンサルティング会社のA.T.カーニーからクラウドワークスにやってきました。きっかけは10年来の友人である吉田(浩一郎社長)の誘いです。私のほうも、その1年くらい前からクラウドソーシングに興味があったんです。10年後、20年後のグローバルトレンドを予測するというようなコンサルティングプロジェクトにかかわる中で、クラウドソーシングについて初めて知りました。それを日本で手がけている会社がクラウドワークスだったんです。

クラウドワークス 執行役員 田中優子さん

それぞれの事情に合わせたスタイルで力を発揮したい個人と柔軟な人材活用がしたい企業をインターネットでマッチングするクラウドソーシングは、個人と企業の双方にメリットがある、必然性の高いビジネスです。私はフリーランスになったことはありませんが、何度も転職を繰り返し、組織の枠にはまらず生きていきたい、という思いを持っていたのともフィットしました。

吉田からは「10年、20年先のストーリーを描いてほしい」と言われました。最初に声をかけてもらった段階で、すでに私の中には、日本にクラウドソーシングが広がるにはどういう条件が必要かという仮説があったので、私がここに来ることでクラウドソーシング市場の健全な成長に貢献できるんじゃないかと思いました。

今は経営企画担当の執行役員として中長期戦略や、IRや広報といった外部とのコミュニケーションに携わっています。

ゲーム会社に潜り込んだ学生時代

学生時代は、クリエイティブなことがしたいという想いがあって、大学3年の秋から卒業までスクウェア(現スクウェア・エニックス)系のゲーム制作会社でアルバイトをしていました。

きっかけはアルバイト情報誌です。プログラマーやデザイナーの募集が出ていたんですが、私はプログラムも書けないし、デザインもできません。それでも何とか働かせてもらいたいと思い、手紙を書きました。時代を感じさせますよね(笑)。「私は学生で、ゲーム業界に興味があるのでアルバイトで雇ってほしい。無理ならちょっと見学だけでも」といった内容です。

積極的ですか? ゲーム制作会社は美大や専門学校からしかクリエイティブ職を採用しないと言われていました。プログラムもデザインも勉強していない私が潜り込もうとしたら、それしか手がないと思ったんです。

雑用で入りました。総務っぽい仕事や、デザイナーさんに頼まれて資料集を探すというような使い走りです。そのうちディレクターと仲良くなり、ゲームの中身の企画にも少しだけ携わらせてもらえるようになりました。

でも、結局、卒業してトヨタ自動車に入社することになります。

最近は分かりませんが、当時、ゲームのクリエイティブの世界というのは、スキルもさることながら人間関係が非常に重要だなと感じました。1つプロジェクトが終わる度にチームが解散して、誰かが独立して新しいチームを作ったり、みんなバラバラの道に進むことも多かったんですね。そんな中で私は今このディレクターに気に入ってもらえて仕事をいただいているけれど、特定の人間関係に依存するのは危険だと。上の人と一蓮托生になるのではなく、自分自身のスキルが必要だと感じました。そのときから、特定の環境でしか通用しないものではなく、どこでも役に立つ強みを身に付けたいと考えるようになりました。

広告代理店に落ちてトヨタへ

就職活動をした頃は「氷河期」と呼ばれた時代です。本当は、ちょっとクリエイティブかなって感じた広告代理店に行きたかったんです。でも全部、落ちちゃって。4年生の春に就職活動を始めた当初は、何を話せばいいのかまったくわかりません。「自己アピールしてください」と言われると、一生懸命長々と答えてしまって。でも、求められているのは端的に話すことですよね。

それでも、だんだんと自分のアピールポイントが分かってきたんです。私は自分でゼロから何かを作り出せる人間ではないけど、いろんな人の知恵や技術を集め、それを大きく膨らませるタイプかなと。それが分かってからは就職活動が急にうまくいき始めました。最後のほうで受かったのがトヨタ自動車です。

入社1カ月後の配属希望面接では、ブランドマネージャーになりたいと言いました。メーカーには、商品のコンセプトが生まれるところからお客様に届くまで、一貫した意志をもってブランドを守る人間が必要です。そのために、最初はお客様が何を求めているかを一番理解できるマーケティング部門に行きたいと言って、そこに配属になりました。

しかし実は、入社当初から3年で辞めるという計画でした。もともと特定の環境でしか役に立たない人間になるのは嫌だというのがあったので、トヨタに最適化された人間になる前に辞めると決めていたんです。1つの会社で10年働いて、実は意識しないうちに出世競争に参加させられていて、10年経ったときに意図せず勝敗を言い渡されるような人生は嫌だと。トヨタには、社会人の最初の3年間で、世の中のしくみというか、ビジネスの基本を学びに行った感覚です。

しかし3年では辞められなかった。3年目に、ある高級車のモデルチェンジを担当したのですが、全然うまくいかなくて自分で納得のいく仕事ができなかった。それでもう1年計画を延長したんです。4年目に「WiLLサイファ」という新型車の市場投入を担当したんですが、こんどこそ納得できる仕事をしようと。WiLLサイファはカーナビでWebを利用できる「G-BOOK」というサービスをトヨタが初めて搭載したクルマだったのですが、この新しいサービスが載っているために通常のクルマ以上に社内外の関係者との調整が多くて、それがすごく勉強になりました。色々失敗もありましたが、達成感も大きかったですね。