電話一つ、メール一つを大事に

大和証券執行役員 白川香名さん

キャリアの中で大きな転機と言えば、99年に事業開発部に移ってからでしょうか。金融機関、特に保険会社に対して、組織形態の変更、株式上場、資金調達や投資など様々な切り口で提案を行い、多くの案件に携わりました。

最初は上司から「保険業法が大きく動こうとしているから、勉強しておくように」と言われたのがきっかけで、来る日も来る日も保険業法を読んでいたのですが、これがその後大変役に立ちました。

保険会社の相互会社から株式会社への組織変更、そして同時の上場。これは既存の保険契約者から何十万人という株主が生まれるという大きな案件に携わることになりました。いったんスケジュールを決めたらもう動かせません。論点は山積みでした。組織をどうするか、契約者とのコミュニュケーションはどうするか、株価をどう考えるか、投資家をどう考えるか……。そもそも会社の戦略をどう打ち出していくのか。数年越しの案件でしたが、実に多くのことを学びました。

保険会社の資金調達案件も忘れられません。資金調達をしたい保険会社と資金の出し手の投資家を繋ぐのが役割でした。どのような手法で、どういった投資家からどの程度の金額をいつ調達するのか。テクニカルな話だけではありません。投資家動向、市場動向……。自分なりに、どうしたらお客様の役にたてるか、付加価値をどうつけるかをいつも考えていました。最後、条件を巡っては保険会社サイドと厳しい交渉になりますが、それぞれの立場で納得できる結果を導くことが出来たときの達成感、一体感は格別でした。その後、投資家フォローという形で保険会社が面談をする際に同行させてもらっていました。その際、投資家のために経営の状況を分かり易く説明した資料が必要になりますが、資料作成において色々と意見交換させてもらったことも貴重な経験でした。

振り返ってみると、仕事はとても刺激的で、ミーティング一つ、電話一つ、メール一つ、すべてにおいて常に自分が試されていると感じていました。仕事はやっぱり厳しい。でも厳しくなければ仕事じゃないと思っています。この仕事に10年以上どっぷり浸かり、本当に充実した時間を過ごしました。思い出深いことは沢山あります。

子どもの成長とともに話せること

2人目が生まれた03年も大手金融機関への公的資金の注入があるなど、取り巻く環境は厳しいものでした。数年間に亘る保険会社の組織変更・同時上場の案件の仕上げ時期でした。予定日の1カ月前、いつもどおり出勤しようとしたら破水したので、行き先を病院に変えて産みました。このときも最短で仕事に戻りました。その頃は、会社にいるときとその行き帰りは仕事のことだけを考え、家に帰って子どもを目の前にした瞬間から育児に専念するという毎日でした。

子どもを育てながら仕事を続けるのは確かに大変ですが、辞めようと思ったことは一度もありません。転職も考えませんでした。1つの案件をやり遂げても次があります。ここで自分がやるべき事はまだまだあると常に思っていました。

いま子どもは高3と中1になりました。日々快適な生活を用意できているわけではありませんが、親には外で働くという世界があり、その結果お給料がいただけ、毎日の生活が成り立っているということは理解していると思います。我が家は我が家、と思っているのではないでしょうか。でも、平仮名ばかりの子供の作文を見たときは「これはまずい!」と思ったことはありました(笑)。

子どもが成長するにつれて、会話の内容がだんだんと変化してきました。とくに高3の子は、政治・経済の動きや、その背景にあるものに関心が高まっていて、中1の子もそれに引っ張られている。こんな見方をするようになったのか、こんなことを言うようになったのかと思うことが増えました。

私は一足先に社会に出た先輩として、教えてあげられることもあると思っています。会社の後輩に対しても同じ気持ちです。何か小さなことでも良い、1人の人間として誰かに頼りにされれば本望です。

■白川さんのキャリア年表

1989年(22歳) 津田塾大学卒業、大和証券入社 債券部に配属
1997年(30歳) 国際引受部へ異動、第一子出産
1999年(32歳) 事業開発部へ異動
2003年(36歳) 第二子出産
2013年(46歳) 大和証券グループ本社 広報部長兼大和証券広報部長
2015年(48歳) 執行役員就任

■仕事道具
シャーペン。ザーッと記録を取るのに軽くて疲れず便利。

■ストレス発散法
スキューバダイビング。 家族全員がダイバーで定番はモルディブ旅行。