大前さんが現在取り組んでいる「人を創る仕事」。ここからはその受講生たちの体験談を紹介する。最初に登場するのは、ビジネス・ブレークスルー(BBT)の創業以来プレジデント社と提携して行われてきたアッパーミドルクラス対象の通信教育事業「大前経営塾」の受講生。半年に一度塾生を募集し、受講期間は1年間。遠隔授業プラットホーム「エアキャンパス」を使い、月替わりのテーマごとに、映像講義を受け、課題図書の輪読会やサイバーディスカッションに参加し、最後に修了論文を書いて卒業となる。卒塾式では塾長である大前さんが直接、卒塾証を手渡している。

9年前に語った決断

「PRESIDENT」誌では、半年ごとに卒塾生を取材し「大前経営塾体験記」と題した記事を掲載してきた。9年前に以下の記事がある。

「地方の会社も世界的な競争に曝され始めている。生き残るために、大手と差別化できるだけの、自分たちの戦略をしっかり持たなければいけない」

受講の動機をこう語るのは、岩手県釜石市で水産食品加工会社を営む小野昭男さん(47歳)だ。(中略)

危機感を持った小野さんが受講を始めたのは、02年10月。4月に始まる第一期は見送った。大手企業の部長クラスの人材が集まると耳にした小野さんは「地方の中小企業の経営者である自分が入っても太刀打ちできないのではないか」と躊躇していた。

《出典:「大前経営塾」体験記(山川 徹=文)「PRESIDENT」2004年3月1日号掲載》

9年前を振り返り、小野さんは語る。

「経営塾を経験していちばん良かったと思うことは、誰と話してもビビらなくなったということです(笑)。私は岩手の片田舎で、コンプレックスのようなものがあったんです。でも、自分がエアキャンパスの上で何か発言すると、丁寧にいろんな質問をしてくれたり、サポートしてくれたりする人がいた。そういう人たちとのやりとりの中で、自分を否定する必要はないとわかったし、同じようなことで悩んでいる人もたくさんいるとわかったんです」

9年前、小野食品の売上高構成比のほとんどは問屋に卸す商売が占めていた。だが、その市場は輸入品相手の厳しい価格競争を求められるものへと変わり始めていた。大前経営塾修了から1年後、小野さんは直販ビジネス「三陸おのや事業」に着手する。2005年4月、手始めに釜石の本社工場前で、鯖の味噌煮などの直販を行った。お客は従業員の関係者をクチコミで集めた。翌月、二度目の開催には多くのリピーターが来た。冷凍庫に入れておけば新鮮さは保たれ、解凍すればすぐにおいしく食べることができる、食べやすいように加工済みの新鮮な海産物。自社商品の強味を小野さんは確信する。そこからこつこつと販路を広げてきた「三陸おのや事業」が大きく飛躍したのは2010年10月だ。

「2009年10月に、『海のごちそう頒布会』とブランド名を付けて、初めての新聞広告を神奈川新聞と神戸新聞に出しました。それまでの直販の経験から、新聞広告が効く50~60代が中心顧客層ということがわかってきましたので、大都市周辺のその層を狙いました」

翌年3月には地元の岩手日報に広告を出す。初めてのカラー広告だった。注文が殺到。その後も小野さんは、あえて白黒での出稿を行い「やはり食材の広告はカラーが効く」と確認している。経営塾を修了したあと、「マーケティングをもう少し勉強したい」と、小野さんはアタッカーズ・ビジネススクール(ABS)も受講している。

全国に展開した「三陸おのや事業」は小野食品の主力事業へと成長していく。9年前に約70人だった従業員数は100人を超えた。食材のパッケージング施設とコールセンター部門の増設を決断した小野さんは、投資を決断する。2億7000万円を投じ、コールセンターを併設した新工場が建てられたのは、釜石市の北隣、岩手県大槌町。落成は2011年2月、震災の1カ月前だった。

「再開を待っていました」「応援します」

2011年3月11日、大津波が三陸を襲う。大槌町に建てたばかりの新工場は津波に呑まれ、完全に消滅した。釜石の本社工場も一階部分が壊滅し、操業不能となった。娘の結婚式で東京にいた小野さんは、5日後に釜石に帰り着く。

「その3月末が大槌工場の建設費の支払いだったんです。経理は『先延べしてもらったら?』とか言っていたんですが、『駄目だ、再建するときにまた頼むんだから、全部ちゃんと払え』と」

小野食品は急ピッチで釜石本社工場の再建に取り組み、3カ月後の6月20日に操業再開を果たす。小野さんは振り返り、壁に掲げられた大きな紙をじっと見た。そこにはコールセンターに寄せられた多くの顧客からの声が貼り付けられていた。食材への感想や注文に混じり、「再開を待っていました」「応援します」という文字も見える。5000人近い全国の「三陸おのや」ファンからの声が凝縮されている。

「これは2011年7月末のお客さんの声なんです。震災後に再開した最初の月です。印象深いものがあったのでここに貼り出しているんですけれど、これは毎月やっているんです。商品の改良に結びつけたり、サービスの改善につなげたり、大事なヒントになっています」

操業を再開したとき、それまでつきあいのあった問屋の多くが、供給元をすでに他に求めていたという。

「岩手も宮城も、被災した水産加工業界の今の売り上げは、平均するとだいたい震災前の5~6割です。その中で、おかげさまでうちの今年3月期の年商は約14億円、震災前以上になりました。それができたのは、(BtoBからBtoCへと)ビジネスモデルをまるっきり変えたからです。われわれ自身が過去にしがみつかずに、ロジカルに自分たちの今を見つめながら『お客さんが戻ってこない事業は何か』『震災前と比べても減ってない市場はどこなんだ』ということを調べ、整理することができたんです」

学んだことは「経営者の役目」

「今、思い出すと、大前経営塾やABSで学んだことのひとつは、経営者としての決断ということかもしれません。5年後、10年後から今を見るですとか、グローバルな環境との比較の中から自分の会社の戦略を考え出すということは、たぶん経営者でなければできないんです。『今、自分たちは何をやらなくちゃいけないのか。このままでいいのか』と考える。要するに自己否定するわけですから。大前経営塾やABSでは、いろんな経営者の話をビデオで見せてもらいました。今、経営者として判断をするときに『これはユニクロの柳井正さんのあの一言だ』とか『松井証券の社長さんの話だ』と、自分の脳みそに残っている感覚に気づきます。自己否定をして新しいことにトライするということは、従業員の視点からはできない、経営者の役目だと思います。それが大前経営塾やABSで学んだことなんだと思いますよ」

コールセンターが集めた顧客の声を、マインドマップ的レイアウトで「見える化」するというアイデアは、小野さんが考えたという。

「いろんなことをロジカルに整理する手法ですとか、それを相手に伝えるための手法というものも、大前経営塾やABSで学んだと思います。マーケティングの授業の中でプレゼン大会みたいなものがあったんですよ。十数回もプレゼン資料をつくりましたね。これは今、けっこう自分の財産になっていて、このあいだは県庁の人に、今、県でいちばん私がプレゼンが上手いと言われました(笑)」

小野さんは照れ笑いを見せるが、取材時に拝見したパワーポイントの絵面は、文字数が絞り込まれ、シンプルで説得力に富むものだった。最後に小野さんは、小野食品の将来像を語ってくれた。

「自分は将来、自分の会社を地域のモデルになるような会社にしたいと思うようになりました。日本のナンバーワンのレベルは無理ですけれども、少なくとも、若い人たちがここに来て力を発揮できるような会社になっていかないと、会社も地域も未来はないだろうと思うんですよ。そのためには自分たちがきちんとしたビジネスモデルを持って、自分たちの存在をしっかりつくり、そこで若い人たち、頑張っている人たちにきちっと給料を払って育てていけるような会社になっていくということがひとつの目標です。それが刺激になって、われわれの水産加工業界そのものに優秀な人間が集まってくるようにできれば」

冒頭で小野さんは、大前経営塾を受講したことで「ビビらなくなりました」と笑顔で語った。こちらは数週間後に、まったく同じことばを聞くことになる。BBT大学院一期生へのインタビューのときだった。

(次回は「大前門下生に聞く[2]——BBT大学院」 6月3日[月]更新予定)