前回は、日本で減少傾向にある「上昇志向派」において、ラグジュアリーファッションや輸入車など、まさにそのセグメントを象徴するカテゴリーのブランドに対する購入意向が大幅に低下していることを示した。ここでわかったことは、今後仮に「上昇志向派」の割合が増えるようなことが起こっても、これらのカテゴリーの購入者が自動的に増えることはなさそうだということである。これらのカテゴリーは、単に誇示やみせびらかしだけでは購入動機にならず、本質的な価値提供が伴う必要があると言えよう。

それでは今回は、逆に日本で増加してきた消費者セグメントである「苦闘派」に焦点を当てて見てみよう。

「苦闘派」とは、疎外感やフラストレーションなど社会における苦難からの逃避を志向する層で、ブランド選択の際もどちらかといえば「興奮」や「刺激」が基準となるような層である。これまでのマーケティングでも、古い時代でのアルコールやタバコなどのマーケティングにおいてターゲットとなるような層であった。しかし、1997年では日本人の10%しかなかった層が徐々に増え2010年の調査では17%にまで達し、「上昇志向派」の13%を上回ってしまった。

こうなると企業としても無視するどころか、ひとつの立派な消費者層として取り込まねばならなくなったことは当然のことである。グラフでは、この「苦闘派」層が「自分にぴったり」だと評価している上位10ブランドを示している。

一目でわかるように、いわゆる「デフレブランド」とでも呼びたくなるような銘柄がならんでいる。

これらのブランドは確かに低価格を打ち出してそれが消費者の支持を得ていることは間違い無いが、それでは果たしてそれだけで支持されているのだろうか。

BAV調査では、ブランドがどういったイメージを強化していけば「自分にぴったり」のブランドと感じでもらえるのかも調べている。グローバルで統一された48のイメージ項目の中で特に、「親しみのある」と「気楽につきあえる」と「消費者のことを考えている」という3項目が上位に上がっており、これらは「苦闘派」において一層顕著である。この48のイメージ項目の中には価格に関する項目もあるのだがそれはずっと下位の項目に留まっている。それよりもむしろブランドが自分達とどう向き合ってくれるのか、どういう関係を持とうとしているのかという点を重要視しているということがわかる。

「苦闘派」との関係づくりにはソーシャルメディアも欠かせない

 ガーズマーは「スペンドシフト」の随所で、消費者との共生のための重要なコミュニケーションツールとしてソーシャルメディアについて語っている。

日本でも2010年のBAV調査で、「ツイッター」「フェイスブック」を調査対象ブランドとして採録した。これらを実際どれだけの人が使っているかという使用率を、4Csの消費者セグメントごとに見たところ面白いことがわかった。

この表では、4Csの7つの消費者セグメントを、左から、「改革派」「探検派」「成功者」「上昇志向派」「主流派」、そして「苦闘派」「あきらめ派」という順に並べている。これはロジャースのイノベーター理論を踏まえて並べたもので、新しいアイデアや新製品をいち早く取り入れるいわゆる「イノベーター」にあたるのが4Csの「改革派」と「探検派」、もう少し現実的な「初期採用者」(いわゆるオピニオンリーダー)にあたるのが「成功者」と「上昇志向派」、そして実用という観点から採用を考える「前期・後期マジョリティ」にあたるのがまさに「主流派」である。そして、新しいものの採用に最も保守的な層は「遅滞者(ラガード)」と呼ばれ、「苦闘派」「あきらめ派」はこの層に入るのである。

過去我々はいろいろなブランドの普及パターンを、4Csのセグメントをイノベーター理論にあてはめることで説明してきたが、SNSの代表ともなったツイッターとフェイスブックに関しては、ちょっとこれまでのパターンでは説明できない。

もちろん、イノベーターと初期採用者にあたる層で使用率が高いのは予想通りであり、次に伝播すべきマジョリティ=「主流派」がまだ低いのは、ジェフリー・ムーアがいうところのキャズム(乗り越えるべき谷)がここにあるということを物語ってくれている。(この調査は2010年の5月から6月にかけて行われたものである。6月は南アのワールドカップを皆でつぶやきあって盛り上がった記憶もあり、昨年はツイッターに関する特集が多くの雑誌で組まれたが、それでもまだ「主流派」の使用率は調査段階ではそれほど高くないのである。)しかし、ここで注目すべきは、これまで遅滞者とされてきた「苦闘派」そして「あきらめ派」での使用率がむしろ「主流派」より高いことである。これはいったい何を意味するのか?

「苦闘派」は目標を喪失し苦難から逃避する層であると規定されており、これまでは、情報ソースも限定的であるとされてきた。しかし、「苦闘派」を最も「苦闘派」ならしめているものは現実世界からの疎外感である。現実世界とのずれを否応無く感じさせられる消費者の情報ソースとして、ツイッターのようなソーシャルな、つまりより消費者に解放されたメディアが浮かび上がってきてもなんら不思議ではないということであろうか。逆に言うと、世間と「等身大」であることを是とする「主流派」にとっては、ソーシャルなメディアへのニーズがまだ世間で思われているほど顕在化していないということであろうか。

先ほど、「苦闘派」だからといって単に価格だけを訴求するのではなく、ブランドがどのような関係をもとうとしているのかが重要であると書いた。そして、それは関係性そのものだけでなく、関係づくりの仕方にも及んでいる。先ごろの震災で多くの人が気づいたように、メディアがますます解放されていく流れは止めようもない。それは、ブランドがますます本気で消費者との関係を築いていかねばならないことを意味する。どれだけ顧客主義を謳っていても、それがただ一方的な関係づくりであっては、消費者は受け容れてくれない。ブランドもまたコミュニティの一員であり、消費者からもそういう目で見られる。そうでなければ、真に「親しみのある」、「消費者のことを考えてくれる」ブランドとしてはとらえてくれないのである。