このたびの東日本大震災で被災された人々に心よりお見舞い申し上げる。犠牲者を悼む。巨大津波にのみ込まれた東北の沿岸部と比べると、こちらは「被害」などという言葉を使うのもおこがましい。ほとんど無傷である。

ただ東京都心からわずか30分の千葉県浦安市でも、地震の影響による断水などが生活を直撃した。埋立地ならではの液状化で街の道路はいたるところで陥没、隆起がおこり、公園には幅1メートル、長さ30メートルほどの地割れもできた。

都市生活はモロイ。自然災害の前で人間は無力だ。つくづく、そう思う。メチャメチャに壊れた道路を前に、近所の老人が呆然と立ち尽くす。

「ああ、おそろしい。80年生きてきて、こんなことは初めてだ。戦争とはちがうショックがある。やっぱり埋立地に人が住んじゃいけないのかねえ。水がなけりゃ、寿命も尽きる」

東京湾岸の浦安のマンションに住んでいる。地震が発生したとき、東京・汐留の某テレビ局にいた。夜7時に汐留を出て、徒歩、バス、地下鉄、徒歩でJR新浦安駅前にふらふらの状態でたどりついた。深夜3時だった。

駅前の広場はタイルが壊れ、店のガラスが割れていた。駐輪場のマイ自転車に乗って帰る。救急車のサイレンが鳴っていた。歩道ではマンホールなどが1メートル前後も地上に飛びだし、何度も急ブレーキを踏んだ。液状化のため、液体のような泥水状態になっているエリアもあった。マンションの周囲の縁石、壁も倒壊し、土砂が堆積していた。

当然、エレベーターは止まっていた。階段でやっとこさ、12階の自宅に。本棚から大量の書籍が崩れ落ち、ステレオのアンプが真っ二つに折れていた。家族にけがはなかった。

余震がつづく。浦安市では液状化で漏水が市内100カ所余で確認され、断水となった。駅周辺の住宅ではガスも出ない。さらには突然発表された「計画停電」にも振り回されることになる。

水がない。これは痛い。水洗トイレが使えなくなる。マンションでは中庭に「災害用仮設トイレ」が一つ、設置された。白いテントが寒風にはためく。赤字でこうある。〈使用後はトビラをあけておいてください〉。

マンションには400世帯が住む。毎朝6時頃から白いテントには長蛇の列ができることになる。近くの中学校で給水活動がはじまった。朝7時半から夜9時まで。海上自衛隊や千葉県水道局の給水車が4台かけつけた。家族総出による、ペットボトル、バケツ、ビニール袋持参の水汲みがつづく。こちらも毎度、長い長い列……。水がないと、炊事、洗面、洗濯もままならない。風呂にも入れない。自転車で回れば、近くの「湯巡り浦安万華郷」なる温泉パークも断水のため、臨時休業となっていた。東京ディズニーリゾートも休業となり、系列の3つのホテルもクローズとなった。

なんだか街全体が荒涼としている。地中から噴出した土砂が堆積し、もうもうと土ぼこりが舞う。マスクをしていても、たちまち鼻がむずむず、目とのどが痛くなる。風呂も入れずシャワーも浴びられないので、髪はべとつき、汗臭く、何とも不快な匂いがからだ全体から漂う。

新浦安駅前の大型スーパーには毎朝、開店を待つ長い列ができる。もうひとつの住宅地の大型スーパーは周囲が1メートルほど陥没しながら、1カ所だけの入り口を開けてオープンしている。インスタントラーメン、レトルト食品、乾電池は品切れ状態がつづく。

「たいへんだ」。ライフラインが寸断され、これが住民の口癖となった。市内の小、中学校は18日までは臨時休校となった。当然、卒業式は延期である。発生から1週間、水道水は戻らない。ストレスがじわりたまる。17日、そこへきたのが停電である。大型スーパーも閉じ、街から明かりが消えた。実家や都心のホテルなどに避難する人が増えている。

救いがボランティア活動である。自分も時間が許せば参加しているけれど、若者が多いのに驚いた。ディズニーリゾートで働く外国人もスコップで土砂を撤去している。

ライフラインはいつ復旧するのか。もはや助け合いだ。一緒に耐えるしかない。繰り返すけれど、東北の被災地に比べると浦安はなんということはない。それでも今回の地震に際し、都市生活のモロさと、助け合いの輪の大事さを知ったのである。

※すべて雑誌掲載当時