世界最大のハンバーガーチェーン「マクドナルド」を築き上げたレイ・クロック。彼のビジネス手法は多くの企業人に影響を与えている。なかでもファーストリテイリングの柳井正社長とソフトバンクグループの孫正義社長は、彼の自伝『成功はゴミ箱の中に』(プレジデント社)を「バイブル」と評している。同書を原作にした映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』の公開(角川シネマ有楽町ほか、全国公開中)を記念して、その卓越した経営手法を紹介しよう――。

「個人店」を「大手チェーン店」に変えた

世界最大のハンバーガーチェーン「マクドナルド」の実質的創業者で、映画『ファウンダー』の主人公であるレイ・クロックは、外食産業の「FC(フランチャイズチェーン)システム」を構築した人です。ハンバーガー店の「マクドナルド」は、もともとマクドナルド兄弟の創業ですが、クロックは店のFC権を獲得します。彼の自伝『成功はゴミ箱の中に』によれば、「フランチャイズ店の売り上げのうち、1.9%が私の取り分となった。(中略)私の取り分のうち、0.5%はマクドナルド兄弟に納めることになった」と記しています。兄弟の個人経営の店(個人店)を全米に展開する「大手チェーン店」に成長させたのです。

現在、日本国内の大手飲食店の大半は「FC店」方式を採用しており、自社が経営する「直営店」と併用して店舗展開を行う会社が目立ちます。国内で約2900店を展開する「マクドナルド」のFC店比率は6~7割 、同じく1100店を超える「ドトールコーヒーショップ」は8割超がFC店です。レストランやカフェなどの外食産業が直営店でなくFC店を展開するメリットは、一般的には次のとおりです。

(1)直営店の出店に比べてコストが安い
(2)そのため、短期間で一気の店舗拡大が可能
(3)拡大が実現できれば、店舗やロゴマークの露出が増えて知名度も高まる
(4)加盟店側(FC店オーナー)も自前でブランドを創るのに比べて負担が小さい

FC店では、店舗建設や内装費用などはFC店オーナーが負担するので直営店に比べてコスト削減が実現できます。ただし、魅力のあるブランドでないと加盟者(主に自営業者や企業経営者)も集まりません。

そして店を展開する本部には、成功させる条件があります。「提携相手」です。かつてドトールコーヒーを創業した鳥羽博道氏に取材した際、筆者が「米国企業が日本で失敗する例は、米国流を押し付けるからではないか」と話したところ、こんな指摘を受けました。

「その通りですが、それに加えてもう1つ条件があります。外食産業の場合は特にそうですが『誰とパートナーを組むか』です。たとえばマクドナルドは、日本では藤田田さん(故人、日本マクドナルド創業者)と組み、ケンタッキーフライドチキンは、日本法人の設立メンバーだった大河原毅さんに経営を委ねました。だからこそ成功を収めたのです」

ドトールコーヒーの創業者が、マクドナルドを意識していたことにも気づかされます。レイ・クロックは提携相手の資質も厳しく見ており、藤田田氏とはウマが合ったと言われています。

「QSC」実現には細部にこだわる

1954年に「マクドナルド」の店に出合うまで、ミルクセーキ用のミキサーを売るセールスマンだったクロックは、最初はミキサーの販売拡大先として興味を持ちました。やがて「マクドナルド」のシステムこそが成功への道だと考え直します。驚くのは、全米に展開するために欠かせないのは、今でいう「QSC」だと喝破したことです。

「QSC」とは、Quality=品質、Service=サービス、Cleanliness=清潔・清掃の頭文字で、飲食業にとって最も大切な3大要素といわれます。1950年代は米国でも「商品の品質と接客はよいが、店が汚い」(QとSはよいがCがダメ)や、「商品はよく、店も清潔だが、接客態度が悪い」(QとCはよいがSがダメ)といった不完全な店が多かったのです。

1955年4月に開業したクロックにとっての1号店「デスプレーンズ」店(米国イリノイ州シカゴ郊外)は、自伝では「他店のモデルにするべく必死の苦労を重ね、スムーズにいくようになるまで1年を要した」と述懐しています。

初日から売り上げは好調だったようですが、看板メニューである「マクドナルド製法のフライドポテト」がうまく揚がりません。調理工程は間違っておらず、マクドナルド兄弟にも電話で問い合わせたが原因はわからず。さらにはポテト&オニオン協会にも問い合わせます。製法を確認するうちに、原料のジャガイモの保存方法が、米国西海岸(マクドナルド兄弟の店)方式だと、中西部(クロックの1号店)の気候では再現できないことに気づき、乾燥の仕方を変えます。フライドポテトの「Q」の部分に徹底してこだわっていたのです。

また、「S」と「C」でも同様でした。映画では、地元の社交クラブの仲間にFC店運営を持ちかけた後、いい加減な店舗運営をする彼らに激怒する場面がありました。「店が汚い」「勝手に違う商品を売るな」と意識改革を迫っています。

一連の言動だけみると、いわゆる「マイクロマネジメント」のように思えます。「経営者はそこまで細かいことを言うな」という文脈で使われることも多い言葉ですが、「QSC」の実現という細部に魂を込める場面では、徹底してマイクロマネジメントをしていたのです。

「本部一人勝ち」の否定

各地の「FC店」(FCチェーン加盟店)とFCチェーン展開全体に責任を持つ「FC本部」(本部)の関係は、時に「求心力」と「遠心力」にたとえられます。地域の実情を最もよく知る各店舗が、それぞれのやり方で顧客満足を高める一方(部分最適)、時には本部主導で運営方針を決めること(全体最適)も必要です。レイ・クロックはこう語っています。

「私がこの時期(引用者注:1955年頃)に下した決断の中に、その後の私のフランチャイズシステムとマクドナルドの発展に大きな影響を及ぼしたものがある。それは仕入れに関して、我々は一切口を出さないということだ。店舗が成功するためには力を尽くして手伝う。それがこちらの収益にもつながるのだから。だが、同時に相手を客のように扱うのは不可能だった」

「パートナーのように扱う一方で、商品を売り利益を追求するのは相反する行為だと私は考える。サプライヤーのようになってしまえば、自分の利益のほうが心配で、相手のビジネスの状態などは二の次になってしまうだろう。(中略)我々のシステムは、それぞれのフランチャイズオーナーが最低価格で品物を仕入れることを可能にした」(『成功はゴミ箱の中に』より)

本部が商品を卸すのではなく、仕入れは各店舗に任せたのです。FC店に委ねた結果、大ヒット商品も生まれました。あの「フィレオフィッシュ」(本書ではフィレオフィッシュサンド)は、シンシナティのFC店オーナーであるルー・グリーンが開発したものです。

新商品開発のキッカケは危機感でした。シンシナティにはカトリック信者が多く、毎週金曜日は教会が信者に「肉の摂取を禁じていた日」。当日は競合の「ビッグボーイズ・チェーン」が提供するフィッシュサンドイッチの前に営業面では惨敗続きで、魚を使ったハンバーガーのアイデアを提案したのです。最初クロックは猛反対しますが、やがて翻意します。これが世界的な大ヒット商品につながりました。現場の実情を知らない本部主導では、こうしたニーズのくみ取りもできなかったことでしょう。

「次代を担う」人材も登用

クロックはワンマン経営者の一方、自分の限界も悟っていました。早くから「参謀役」や「次世代を担う」であろう人物を3人見抜いています。出会った順に記します。

ジューン・マルティーノ(のちにマクドナルド財務責任者となる女性。1948年に求人に応募)
ハリー・ソナボーン(のちにマクドナルドの最高財務責任者となる男性。1955年に出会った当時39歳。テイスティフリーズ社の副社長を辞してマクドナルド社での雇用を希望)
フレッド・ターナー(のちにクロックの後を継ぎ、マクドナルド社2代目社長。1956年に出会った当時は23歳。マクドナルドのフランチャイズ広告を見てFC店に応募)

特に、ハリー・ソナボーンとフレッド・ターナーは、クロックの築き上げた「ハンバーガー帝国」に欠かせない経営人材となります。やがて経営方針の違いからソナボーンはマクドナルド社を去るのですが、クロックは彼の有能さを惜しみます。自伝には「トップは孤独だ。これを最も痛烈に感じたのは、ハリー・ソナボーンが私との口論の後に、会社を去っていったときだ」と記しています。

もっともこう記せたのは、クロックの75歳の誕生パーティーに、次の"雪解け"があったからでしょう。

「なかでもジューン・マルティーノとハリー・ソナボーンに再び会えたことは至上の喜びだった。ハリーとは今後いっさい会うことはないと確信したときもあったので、彼が私の方に手を回し、『レイ、君は私のいちばんの親友だよ』と言ってくれたときはとてもうれしく、すべてのことがうまくいくように思えた」(『成功はゴミ箱の中に』より)

経営で見せる冷徹な判断の一方で、生身の人間性も隠さないレイ・クロック。彼の現場主義は米国企業の中では特異なもので、自伝タイトルの『成功はゴミ箱の中に』は、「ライバル会社のことが知りたければ、その店のゴミ箱の中をみればすべてわかる」というレイ・クロックの強烈な言葉から来ています。

レイ クロック (Raymond Albert Kroc/1902-1984)
1902年米国・シカゴ郊外のオークパーク生まれ。高校中退後、ペーパーカップのセールスマン、ピアノ演奏者、マルチミキサーのセールスマンなどで働く。1954年、マクドナルド兄弟と出会い、「マクドナルド」のフランチャイズ権を獲得、全米展開に成功。1984年には世界8000店舗へと拡大した(現在「マクドナルド」は世界118の国・地域に約3万店を展開)。後年にレイ・クロック財団を設立。メジャーリーグのサンディエゴ・パドレス獲得など精力的に活動した。