メディアが狙うのはドンの今の姿

厚生省内は、岡光氏を取材しようと100人以上の記者、カメラマンで溢れかえっていた。メディアには、汚職事件の容疑者であった岡光氏の姿をテレビカメラや写真に写し、何とかして新聞やニュース番組で報じたいという意図があった。

※ここまでの経緯は「記者100人を騙し通したわが孫子の兵法」(http://president.jp/articles/-/22063)を参照

大臣記者会見を行うと発表していたので、8階の記者会見場では各マスコミが少しでもいい撮影ポジションを撮ろうと陣取り合戦をしていた。大臣室や岡光事務次官のいる7階では、大臣や岡光氏の動向を探ろうと、記者が目を光らせている。そして、1階では事務次官の公用車の周りをカメラマンが囲み、また運転手や入り口の管理人の横にも記者が張り付き、岡光氏がもし大臣記者会見の最中にこっそり厚生省を脱出しようとしてもカメラにその姿を収め、質問をしようとしていた。

以上の省内情報を、厚生省の役人に命じて、大臣秘書官である私に逐一報告させていた。出入り口をすべて塞がれ、部屋の出入りも監視されている状況で、岡光氏をメディアの前に一切晒すことなく厚生省を脱出させるにはどうしたらいいか。私は、この日のために秘策を練っていた。そして、満を持してその秘策を実行したのである。

まず、当初予定されていた大臣記者会見を中止し、厚生省の1階でぶら下がりの会見にすると発表した。ぶら下がりとは会見場のようなあらたまった形式ではなく、クルマに乗る間際などの短時間で実施される会見である。すると、8階に詰めかけていた記者やカメラマンたちが一斉に1階に下りてきた。厚生省の1階ではメディアの陣取り合戦が始まり、人で溢れかえりごった返すような状態になった。

その状態になったのを確認し、しばらく時間を置いて記者たちに「まだ始まらないのか」と苛立ちが起きるであろう瞬間を待って、今度は、「やっぱり、ぶら下がりの会見は中止し、当初の予定通り8階の会見場で、15分後に開く」と発表した。相次ぐ会場変更で、そのたびに陣取り合戦をしなくてはいけない記者たちはさぞかし殺気立ってしまったことだろう。しかも今度は15分という時間しか与えなかった。なかなか来ないエレベーターを待ちながら、記者たちは焦って8階へ向かったはずだ。7階のフロアにいた記者たちの一部も、おそらく8階へ陣取り合戦のために出向いたはずだ。

さらに、通常であれば記者会見開始の数分前に大臣室を出る大臣が、突然10分前に部屋を飛び出した。いつも通りの時間に出てくると予想していた記者たちはびっくりしたことだろう。慌てて大臣の後を追ったに違いない。

厚生省内のメディアは、イレギュラーな発表と動線によって、岡光氏が今どこで何をしているか、一瞬忘れてしまったことだろう。そして、その瞬間を私は待っていた。大臣が飛び出し、記者が必死でついていったのを見計らうと、これまでまったく開くことのなかった事務次官室のドアを開く。岡光氏は事務次官室からそっと出ると、一番近い階段まで歩み、そのまま階段から下りていった。記者の目を盗み、階段で下りるところまではできたが、問題はどうやって厚生省を脱出するかである。1階の公用車付近では記者が、岡光氏の来るのを待っている。

実は、厚生省の2階は、渡り廊下で農林水産省と繋がっている。そこに目をつけた私は、農林水産省の出入り口に、ハイヤーを呼んでおいたのである。あえて事務次官車の運転手にも厚生省の1階の管理人にもそのことを告げなかった。明け方までそこで待機してもらったが、その際に、何度も記者連中に「本当にまだ岡光氏は厚生省内にいるのか」と聞かれたことだろう。そのときは、「いる」としか返事ができなかったはずだ。岡光氏は厚生省の階段で2階まで下りると、渡り廊下で農林水産省に行き、農林水産省の玄関から脱出したのである。

メディアの犯人探しでは何も解決しない

岡光氏の姿を捉えることができなかったメディアはさぞかし悔しがったことであろう。「これでは絵にならない」とマスコミではよくいうが、事件の中心人物の写真映像を撮れなければ、どうしても扱いが小さくなってしまうものだ。

記者会見では、大臣が事件は甚だ遺憾であり、責任をすべて引き受ける旨の発表をした。そもそも大臣就任直後の事件発生で、大臣に責任がないのは明白であったが、あえて自分で責任を引き受けるとしたことが肝心だった。東大卒など優秀な人が集まる組織でも信頼関係がなければ、まともな成果などあげられるはずがない。

なぜ、ここまで岡光事務次官を記者から守らねばならなかったのか。それは、これ以上、岡光事務次官に余計なことをマスコミに対して話してほしくなかったからだ。新しい事実が発覚するとセンセーショナルに書き立てられてしまう。最近の籠池夫妻にまつわる国有地払い下げの問題でも同じことがいえる。問題の本質それ自体が大した事案でもないのに、次から次に新しい事実が飛び出し、それがワイドショーをはじめとするメディアによって垂れ流され、ボディブローのように内閣支持率が下がっていく。

歴史的に考えても、内閣にとってスキャンダルの軽重はあまり問題ではなく、むしろ、メディアが報じる量によってダメージが決まってしまうということだ。であれば、もしスキャンダルが起きたなら、1回の謝罪会見ですべての事案を公開し、謝罪してしまうことが大事なのである。10のスキャンダルを1回で報道されることと、5のスキャンダルを1回ずつ5回に分けて報道されるのを比べれば、ダメージは「1回で10」のほうが少ないのである。すでに明日の朝日新聞・朝刊に岡光事件が出ることがわかっている。本来であれば朝日新聞にも情報を与える必要はなかったが、出る以上、これ以上の情報をメディアに与えてはならない。マスコミに話したことは「任意の自白」として、検察に有利な証拠になってしまう。厚生省の組織的な汚職事件などになっては内閣がひっくり返ってしまう。岡光事件は、岡光事務次官のみの事件として進んでもらわねばならなかった。

しかし、実をいうと、私は岡光事務次官を無罪に導くわずかな可能性があると思っていた。本人が自白した事案で相当に難しいかもしれないとは思っていたが、可能性はゼロではなかった。そのためにも岡光事務次官を記者の前にさらけ出すことはなんとしても避けなければならなかったのだ。岡光事務次官の厚生省脱出に成功した私は、捜査当局との絶体絶命の闘いの準備を進めることにした。(この話続く)