時々、日本にも「腐ったトマト」があればいいのにと思うことがある。つい先日も、そう感じた。

えっ、どういうことか、ですって? トマトは鮮度がいいに決まっている? なぜ、わざわざ、腐ったトマトが欲しいのかって? いや、もう少し待ってください!

このところ、映画が面白い。特に、人工知能や宇宙など、文明の新しい潮流を扱った映画が面白い。映画を見るという習慣がすっかり復活して、熱心にあれこれ見ている。

新作だけでなく、少し前の作品も、インターネット上などで見られるようになった。

先日、あるコメディ映画を見た。監督は、数々の名作を世に送り出し、アカデミー賞にも輝いている人。そして、主演の2人は、ヒット映画に何度も出演し、その名前で客が呼べるとされている男優。

まずは「テッパン」の布陣で、大いに期待して見たのだが、実際にはひどかった。脚本がめちゃくちゃで、伏線の張り方も適当。最後の落ちも、「おい、マジかよ!」と、思わず声を上げたくなるレベル。

情けなかったのが、随所に挿入される、テーマに関係した(と思われる)歌。もっともらしく流れるが、完全に外している。ドン引きである。

見終わって、「いやあ、ひどかったなあ」と嘆息し、さっそく「腐ったトマト」を確認しに行った。えっ、冷蔵庫に行ったのかって? そうではありません!

「腐ったトマト」(Rotten Tomatoes)という名の映画批評のサイトで、その作品を確認。案の定、批評家の支持率たった7%。「撃沈」である。

1999年に創設された「腐ったトマト」は、映画に対する容赦ない評価で知られている。特に売り物なのは、映画の批評家の評価を集めて、「何%の支持があるか」とまとめる機能。

近年のヒット作で言えば、『タイタニック』の支持率は、88%。『アナと雪の女王』の支持率は89%と、批評家たちにも評価された。

一方で、大ヒットしながら30%台や、それ以下といった映画も多い。「腐ったトマト」は、興行的に成功するかどうかとは別の「批評家から見た作品の価値」を示すのである。

もちろん、批評家たちの評価が全てではない。今回私が見た映画のように、「7%」という低支持率だと、かえってそれが作品の個性になる場合だってある。いずれにせよ、容赦なく評価されることで、映画を見る楽しみが増す。

「腐ったトマト」という名前は、つまらないパフォーマンスに対して、観客が抗議の意味でトマトを投げつけるという「習慣」から生まれたのだそうである。

冒頭の話に戻る。日本にも、「腐ったトマト」があったらいいのにと思う。映画会社の宣伝や、主演俳優や所属芸能事務所によるプロモーションも参考になるけれども、それだけだと、映画の質がなかなか向上しない。

もちろん、日本でも、一般の人々が評価を投稿できるシステムは増えてきている。加えて、批評家による支持率のサイトがあったら、さらに面白いだろう。

「腐ったトマト」の背後には、映画への愛がある。ひどい評価を受けた作品だって、それ自体を1つの励みだと思えばいい。酷評された作品を支持する人だっている。

公正な評価こそが、質を高める。これは、映画だけの話ではないだろう。