海外進出は「なんとかなる」精神で

中小企業のグローバル化が進んでいる。現在、法人数にして2万社が海外に展開しており、そのうちの1万社が製造業であり、その50%、つまり5000社が中小企業だ。といってもこれは法人数であり、各社があちこちの国や地域に展開しているので、事業所数にすればこの10倍を超えているだろう。つまりもはや海外展開は普通のことである。

とはいえ、これから海外展開を考えている会社にとっては、「アテになる海外担当者がいない」ことなど、ハードルはけっこう高く感じる。しかし現実にその気になって動き始めると「けっこうなんとかなる」ものなのだ。

これまで約120社から聞き取り調査をしたが、海外進出の動機は次の5つくらいに集約される。それは1)新たなビジネスチャンスを求めて、2)取引先からの勧誘、3)仲間の企業からの誘い、4)労働力の調達とコストダウン、5)二代目さんなどの第二創業的な起業家精神、などである。

むろんどれも重なっているのだが、共通して求められるのは、「知らないところに飛び込む勇気」である。誰に行かせ、どのように現地で採用し、どのように仕事を教え、どう仕事(取引先)を確保し、そして何より言葉をどうする……と悩みは深いかのように見える。しかし現実の企業から現地での取り組みの実態を聞いていると、「大変ではあるけれど、なんとかなる」ものなのだ。

海外駐在を経験すると人材は飛躍的に成長

取引先や仲間企業からの誘いであれば、比較的に進出しやすい。次のようなことの多くを教えてもらえるからだ。

まず、最低限の現地での仕事の確保。工場設置場所の選定、機械設備の搬入と設営、並行して現地人の採用の開始、技能や就業規則などの初期教育、工業団地での日本人駐在員の情報交換会へのデビューによる情報の入手と、自社の紹介(最初の営業活動)。

こうしたことと並行して、自分の住まいの確保。運転手がパッケージされたレンタカーの契約。通訳の採用。取引先の確保・拡大のための会社案内を持参しての挨拶回り……。

以上のようなことが同時的に進む。日本で働いていたときはとりあえず「担当業務」というものがあり、生産管理をしている人間が経理事務をしたり、営業の人間が設計管理や材料の調達を担ったりはしない。しかし海外での現場はそうしたことのすべてが「担当業務」としてスタートする。自分が判断し決断しなければならない。設備投資を含め、自分の裁量と決定が基本である。

2013年の秋に、広島県の安芸高田に本社のある精密板金プレスのメーカーの、タイ工場立ち上げの聞き取りをしたが、駐在員氏は「合弁相手の経営者とか相談相手はいるが、とにかく忙しくて、寝ている時以外はいつも仕事をしています。たまに30分くらい時間があくと、かえって心配になったりします」と語っていたが、よくわかるのである。

つまり海外駐在は、日本では20年、30年と積み重ねる経験を2年、3年に凝縮する。それゆえ人材の育ち方が急速(大化けする)だ。

それは経営者自身も同様だ。特に第二創業的な進出は、まず進出国(地域)の選定のために、4カ国か5カ国の工業団地などを歩いてみる。その結果、自分の会社の適地や不向きな地域を把握する。初期投資の概算。現地駐在員の選定(基本的には自分が中心になる)……。このようなことを進めるためには、各種の「見学会」等への参加が必要だ。もちろんどの国にも各種のコンサルタントはいる。彼らは会社設立の事務手続きなどの代行や協力もしてくれる(費用はかかるが)。

日本で闘えないなら、難しい

また現地語がよくわかり、マネジメントもできる日本人の採用もそれほど難しいことではない。30年前、40年前に進出した大企業の現地工場に長く勤務してリタイアした人物たちが、70歳くらいになってもはつらつとして働いている。彼らをリクルートする方法も、現地のフリーペーパーなどをみればわかるが、口コミも盛んで、元トヨタ、元いすゞ、元パナソニックといった企業別のリクルーターもいたりする。

以上のようなことに同時に取り組んでいくことが、マーケットリサーチにもつながるのだが、仕事で大切なのは、まず日本工場のもっとも易しい仕事をもってきて(つまり日本本社の下請けになる)始めることが大切だ。

ただ、留意しなければならないのは、「日本本社の強化」である。「日本では商売がしにくいから……」という発想でスタートすると失敗する。日本本社(工場)がモデルであり続けることが経営の要件だ。日本のマーケットで闘うことのできない会社は、海外ではなお闘うことはできない。

とくに製品企画、研究開発、生産設備の構想、各種の要素技術の集約、実験・試作…といったことは、まだ日本でしかできない。取引先との関係管理もしかりである。日本国内での技術的なことを含めた取引企業との情報交換は重要な「経営資源」である。

もっともこの辺が難しいのは「電機関連」である。とくにエレクトロニクスを中心とした「画面をもった商品(ケータイやテレビ、デジカメといった)」をもつ家電系は、近年かつての「協力会」が崩壊しつつある。その結果、生じているのは「知恵を集める仕組み」の喪失である。かつて完成品(最終財)メーカーと協力メーカーの関係は「協力会」によって、毛細管のようにつながっていた。それは技術だけではなく、人間関係や各種の情報も含まれていた。いったん喪ったものを取り返すのは難しい。

しかしアセアンを歩いていると、新しいタイプのネットワークができつつある。おそらくマーケットの成長が著しく、従って新しい企業間の出会いを中心とする、新しい動きがどんどん出てくるからだろう。

中沢孝夫(なかざわ・たかお)●福山大学経済学部教授。1944年、群馬県生まれ。高校卒業後は郵便局に勤務。全国逓信労働組合本部勤務を経て立教大学法学部に入学し、93年に卒業。姫路工業大学(現兵庫県立大学)環境人間学部教授、福井県立大学経済学部教授などを経て、2014年より現職。中小企業経営論、ものづくり論、地域経済論などを専門とする。社団法人経営研究所シニアフェローを兼務。主な著書に『中小企業新時代』『グローバル化と中小企業』『中小企業は進化する』『中小企業の底力』など多数。