戦後の日米経済史は摩擦の歴史でもあります。

日米繊維交渉(70~72年)に始まり、日米半導体協定(86年)、日米構造協議(89~90年)等々、そのほとんどは特定の業界で日本が強くなりすぎたことに対する、アメリカの反発で行なわれたものでした。

これに日本は、官民挙げて対応しました。馬鹿にされても脅されても、実を取ることだけ考えて、絶対に逃げずにがんばり抜いた。プライドなんてかなぐり捨てていました。私は半導体交渉やテレビ交渉など、主要な交渉を数多く見てきましたが、企業、政治家、官僚が一致団結し、「とにかくこのマーケットを捨てるわけにいかない」と、日本と日本人が生き残ることを第一に考えて交渉していた姿を忘れることができません。

同じように、中国市場抜きで21世紀の日本を語れないのは自明のことです。にもかかわらず「日本食レストランに投石されたから、中国市場から撤退しよう」なんて企業人が言っているのを聞くと、「なんという根性なしだ。アメリカで戦った歴史を忘れたのか」と天を仰ぎたくなります。