問題の一部は、一九七〇年代の中頃から終わりにかけての石油危機の時期にさかのぼる。この時期を境に、ガソリンを大量に食う米国製の自動車に対する米国消費者の愛情が冷めてしまったのである。その結果、もっと小さく(そしてまた、もっと安い)車が人気を獲得するようになった。同じことが、電気製品についても起こったのである。

経済的なさまざまな問題が、政治的スローガンの主張と一緒にされてしまうという事態は、いつの時代でも不幸なことである。毒々しく極端に単純化された外国人嫌いという考え方が、その醜い頭をもたげてきたのは、急速にラスト・ベルト(赤錆(さび)地帯)と呼ばれる廃工場街に変わっていったデトロイトやミルウォーキーといった都市においてである。そして、ラジオのトーク番組や、視聴者との電話討議番組などで、これは真珠湾攻撃の再来だといった発言が出始めた。