なぜ留保利益の確保が必要なのか

会社は、株主だけでなく、従業員、納入業者、流通業者、債権者、地域社会など多様な利害関係者の協働によって社会的に有用な価値を生み出すための制度である。会社はその価値に対する対価を売上高として顧客から受け取り、それをステークホールダーにコストとして分配することによってステークホールダーの協力を引き出すことができる。株主は、売り上げからコストを差し引いた残余としての利益を受け取る。自分の取り分が一番最後になるという意味で株主は弱い存在である。そのため株主には、有限責任という責任限定とは不釣り合いなほど大きな権利が与えられているのである。

このことは、言い換えれば、株主は、ほかの利害関係者への支払い義務を考慮しなければならないということを意味している。その義務を果たした後に残るのが利益だからである。

ほかのステークホールダーに対する支払い義務の中には将来に発生するものもある。日本の場合、この将来の支払い義務が大きい。会社は長期取引のネットワークの中に組み込まれているからである。まず、スポットで最もメリットがある取引相手とスポットで取引するというやり方はとられていないのである。

従業員は、終身雇用が約束されており、長期雇用を前提に会社に合わせた能力を形成している。このような従業員には長期にわたる雇用の責任がある。いらなくなったかやめてくれというわけにはいかない。そんなことをすれば、働いている人々の信頼を失ってしまう。社外の取引パートナーとは、長期取引を前提にした取引が行われている。納入業者は、長期取引を前提として設備投資や開発投資をしている。将来の取引を考えて、スポットで売るよりも安い値段で売ってくれているかもしれない。契約があるわけではないが、このような納入業者からは、将来も購入する義務がある。

このような長期取引がある場合には、ほかのステークホールダーに対する支払い義務は済まされたとはいえない。具体的にその大きさを決めることは難しいが、将来に支払い義務が残されている可能性がある。こうした義務を持つほかのステークホールダーとの信頼関係を維持するには、潤沢な留保利益を持ち続けることが必要なのである。このような長期取引のために、日本企業は多くの留保利益を持たざるをえない。ところが法的には、留保利益は自己資本として株主のものということになっている。この矛盾をついて、留保利益を株主に分配せよという濫用的株主が出てくる危険がある。濫用的株主は、会社に留保利益を吐き出させて一時的な株高を演出して、売買益を得ようとする。このような濫用的株主から会社を守る必要があるのは、ステークホールダーの利益を守るためである。買収防衛の基準としてステークホールダーの利益ではなく、株主共同の利益を第一に持ってくると、ステークホールダーとの信頼関係が毀損され、協働がうまく行えなくなる。ステークホールダーへの信用の毀損は株主共同の利益にもならないはずだが、そのことがわかるのはずいぶん先である。短期的には、この利益還元に目を奪われて間違ってしまう株主が出てくるかもしれない。濫用的株主はそのような株主の出現を期待している。

多様なステークホールダーとの間で長期取引が行われている日本では、潤沢な留保利益は不可欠であり、それを横取りしようとする濫用的株主の害は特に大きくなる。このような株主から企業を守るためには、ステークホールダーの利益に注目する必要がある。