「危機感と具体的な取り組みで企業は蘇る」

韓国の製鉄会社、ポスコ。鉄鋼業の世界ランキング第4位(2011年ベース)に君臨する巨大メーカーである。85年に第1期設備着工が始まった光陽製鉄所が、ポスコの急成長を支えてきた。世界屈指の鋼鉄生産量、1180万トンを誇る光陽製鉄所の建設に、宮永は埋め立て工事の段階から関わってきた。宮永はいう。

「小さな会社が世界指折りの製鉄会社に成長する過程を、見させていただいた」

宮永は35歳から約7年間、ポスコを担当している。そこで、製鉄機械の営業マンとして、米国を皮切りに欧州、中国など常に新しい市場を開拓してきた。宮永は、「できません」とは、いわない。たとえ、客から“無理な”要求を受けても、「こういった可能性もある」「ココとココをつなげるとこんな可能性も出てくる」と、前向きな提案をし続けた。

宮永の粘り強さが、米ナショナルスチール(03年に破綻、現・USスチール)、ベスレヘム・スチール(現・ミッタル・スチール)への売り込み成功につながった。オランダの国営製鉄会社に、三菱重工業の「熱間圧延設備」(鉄の加工プロセスを管理する設備)を納入することができたのも、お客の要求に対する宮永のしつこさと誠実さが呼び寄せた結果だ。

「ビジネスで訪れた国は、50カ国以上」というほど、海外を飛び回った宮永だが、時代の浮き沈みまでには、その力は及ばなかった。宮永の努力も虚しく、世界の鉄鋼業は大不況に突入し、98年くらいから三菱重工業の製鉄機械の受注は、最盛期の5分の1程度に激減してしまう。三菱重工業と同じ「熱間圧延設備」を扱う日立製作所も状況は同じだった。

世界では、企業のM&Aが活発化していた。世界一の規模を誇るマンネスマン・デマーグと、2位のシュレーマン・ジマーグが合併し、売上高1兆円規模の企業の「SMSデマーグ」が誕生していた。日本を代表する三菱重工業、日立製作所でも、両社合わせた売り上げが200億円にも満たない状態だった。