幻に終わった「日立製作所と三菱重工の全面統合」。その1年4カ月後に突然発表されたのが、両社“部分統合”だ。なぜ、部分統合が実現したか? その伏線は13年前にあった。

本当に“拾って”いただいたと思っています

東京大学農学部の一角にあるテニスコートでは、テニスボールを打ち返す音が響いている。ここは、東京大学運動会庭球部の練習場である。1968年に東京大学に入学後、4年間庭球部に所属して、「下手の横好きながら、ひたすらボールを追いかけ回していた」という学生が決めた就職先は、三菱重工業だった。しかしながら、会社を“選んだ”という積極的なものではなく、

「本当に“拾って”いただいたと思っています。他の学生は3年生のときに決まっていましたが、4年生で就職しようとしたときには、行く所がなくなっていて」

と、宮永俊一は、学生時代を回想する。

三菱重工業 代表取締役社長 
宮永俊一 

1948年、福岡県生まれ。72年東京大学法学部卒業後、三菱重工業に入社。2008年取締役、常務執行役員、機械・鉄構事業本部長、11年4月取締役、副社長執行役員、社長室長を経て、13年4月から現職。

1884年に三菱財閥の創設者である岩崎彌太郎が、明治政府より借り受けた長崎造船所に源流を持つ三菱重工業。単独ベースで3万2000人弱の社員を抱える同社の歴史は、まさに「三菱は国家なり」という自負と矜持に満ちたものだ。

しかし、目の前でインタビューに応じる三菱重工業の宮永俊一社長には、そういった気負いが、微塵も感じられない。宮永は、役職に関係なく、相手を「さん」付けで呼び、偉そうな素振りは見せない。本当に天下の三菱重工業の社長なのか? と訝しがる人がいても、不思議ではないくらい、宮永の人当たりは柔らかく、物腰は丁重である。しかしながら、宮永の腰の低さにばかり目がいくと、宮永という人物の本質を見誤ることになる。

今年2月、社長交代の記者会見で、大宮英明社長(現・会長)は、宮永を後継者に選んだ理由をこのように説明した。

「宮永さんは、先進的な経営センスと、変革に対して確固たるビジョンを持っています。42年ぶりとなる文系のトップの誕生ですが、宮永さんは技術に精通するだけでなく、高い見識を持っています」