翌88年2月、金制の審議が再開され、「垣根崩し」の議論が始まった。副社長も委員になり、会合には必ず随行した。センサーを働かせ、さらに研ぎ澄ますためだ。ちょうど満40歳になるころだった。

9月には、証券取引等審議会での議論も開始する。改革は、91年6月、子会社によって相互の業務に参入を認める形に決まるが、保険業法の改正を取り上げる保険審議会の論議は、翌年4月にまでずれ込んだ。だが、生保の他社は「保険審があるのに、日生は何で金制に入るのだ」と言うだけで、ことの重大性に気づいていない。それでは、大蔵省や保険審の背中を押せない。

関心と理解を深めてもらうためには、やはり、欧米の金融界が大きく変化していることをみてもらうのが1番だ、と考えた。自分でアレンジし、生命保険協会で制度問題を所管していた財務委員会の主催として、欧米視察団を3回出す。それに、ずっと、ついていく。「ビッグバン」と呼ぶ金融証券制度の大改革が始まっていたロンドンを視察し、米国の動きも調べると、各社の幹部も「やっぱり、制度改革論議に入るしかない」とわかってきた。

保険審が始まった後、協会の財務委員会の下に制度改革論議の受け皿とする財務企画専門委員会を設け、その初代委員長となる。金融制度に関することは、正直言って、誰かに任せる気にはなれない。大蔵省にも業界にも、各業界が相互に「垣根」を乗り越え、新たな競争の促進を図る必要性を、説き続ける。いま思えば、当然の主張で、時代の先を読むのが好きだった。

「聖人見微以知萌、見端以知末」(聖人は微を見て以て萌を知り、端を見て以て末を知る)――知徳に優れた人は、かすかな兆しをみただけでこれから起こる物事を察知し、わずかな発端をみただけで物事の結末を見抜く、との意味だ。中国の古典の1つ『韓非子』にある言葉で、変化の激しい時代のなかでは洞察力が大切なことを教える。常に人と会って意見を交わし、先をいく人の話に耳を傾けながら、時代の先行きをみぬき、新聞記事1つを読んだだけで会社の進むべき道に思いを馳せる出口流は、この教えと重なる。