1971年に日本マクドナルドを立ち上げ、2002年まで社長を務めた藤田田さん(故人)によれば、同社のアルバイト経験者は当時で延べ450万人に達したという。今の若い世代は高校時代からバーガーショップやコンビニでアルバイトをしているから、マニュアルでこなすような業務が仕事だと思っている。だから会社に入って創意工夫を求められる仕事に直面すると戸惑うし、上昇志向もないので面倒な仕事を振られると会社を辞めてしまう。

仕事を通じてスキルを身に付け、少しずつ出世の階段を上っていく、という考え方はもはや大半が持ち合わせていない。だから同じパターンで転職を繰り返すのだ。チャレンジ精神もなければ上昇志向もなく、簡単な仕事だけを追い求める。贅沢を言わなければそれで食っていける。いや、夢など持たなければ、それで満足さえするのだ。

若い世代がそうなったのは、やはり親の育て方に大きな問題があると思う。娘がいる母親が将来、子供になってもらいたい職業の第1位は何か。看護師である。理由は安定性と先々、自分の面倒を見てもらえるから。そして、息子になってもらいたい職業は公務員なのだ。こういう親に育てられたら、おおむねリスクを取るような生き方はしなくなるだろう。

戦後半世紀以上が経過して、リスクを取るという発想が日本人の染色体から消えてしまったように思える。

『坂の上の雲』ではないが、戦前の日本人は清国やロシアと戦った。第二次大戦ではアジア大陸の奥地まで進軍し、南はインドネシアの島々まで占領した。

私の父はノモンハン(旧満州)の生き残りで冬はマイナス40度になると聞いていたが、実際にハルビンで氷祭りを見に行ったときには確かにマイナス30度だった。その昔、インドネシアのスラバヤというジャワ島の寂れた町に行ったときには、ここも日本軍が占領していたと聞いて寒気がした。プロペラ機にモールス信号の時代である。助けを呼んでも援軍が来るまで3週間以上かかる。ほとんど孤立無援。攻められれば絶対に守りきれない。

私は日本軍の足跡を辿るのが案外好きでいろいろ訪ねるのだが、そのたび、我々の先代はよくぞこんなところまで進行したものだと思う。帝国主義は反省するにしても、その蛮勇には感心させられる。今の日本人の染色体のどこを探しても、そんな勇気も度胸も見当たらない。民族的な連続性がまるで感じられないのだ。