母語の運用能力を上げるためにどのような方法があるか。1つは音読である。無文字言語というものは存在するが、音を持たない言語は存在しない。言語の本質は音である。古典をひたすら音読すると、意味はおのずとわかってくる。同僚の日本文学者が授業で樋口一葉の『たけくらべ』を読ませたところ、学生たちが「意味がわからない」と言う。でも、音読させたら意味がわかったと顔を輝かせたそうである。音読の最良のかたちは謡曲だろう。能楽の謡(うたい)は「謡うエンサイクロペディア」である。漢籍仏典、記紀神話、万葉集、古今集、源氏平家、伊勢物語から近世に至るまでの文学・宗教・歴史の基礎教養を謡って覚えることができる。話芸を聴くこともリズミカルで響きのよい日本語を習得するうえで効果的である。落語でも歌舞伎でも、「こういうふうに語るとグルーブ感が出る」という消息は、名人の話芸を聴いて習得するのが最も効果的である。

話を英語に戻そう。私自身は、今日本の学校で行われている英語学習に疑問を抱いているが、国際共通語の必要性と有用性はもちろん認めている。そのうえで、英語ではなく、「リンガフランカ」を学習するということを提案している。これは非英語圏の人たちが英語によって意思疎通を果たすことをめざすコミュニケーションのための言語のこと。かつてヨーロッパではラテン語がそうだった。ラテン語は死語であり、それを母語とするものがいなかった。だから、ラテン語で意思疎通する人たちは誰もアドバンテージを持たなかったのだ。「リンガフランカ」はPoor Englishと言い換えてもいい。とにかく通じればいい。発音がいいとか悪いとか、そういう言い回しはしないとか、文法的にどうだとか、そういうことを言わない。

「リンガフランカ」の授業では、教師は決して生徒の発音の間違いや文法上の間違いを指摘しない。身振り手振りも、絵を描くことも、コミュニケーションに資するふるまいはすべて許される。そして、点数も成績もつけない。この授業で、オーラル・コミュニケーションの基本は身につくはずである。その後“正しい英語”で古典を読み、政治や経済や学術の専門的なテキストを読むといった、授業に移行する。これで、日本人の英語力は今よりずいぶん向上するはずであるし、物怖(お)じしない英語話者が誕生すると思う。

しかし、英語より前に、母語=日本語の学習が大切だ。

内田 樹
思想家、武道家、翻訳家、神戸女学院大学名誉教授。1950年、東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業後、東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。90年に神戸女学院大学助教授となり、現在同大学名誉教授。合気道六段、居合道三段の武道家であり、神戸市に能舞台と道場を融合させた凱風館を設立。専門は、フランス現代思想、ユダヤ文化、映画、武道等、幅広い。