ところで、本格的な反日教育が始まった九二年頃、中国で何があったのでしょうか。

先ほども述べたように、それ以前の教育の中心は反米・反資本主義教育でした。共産党独裁の中国にとって、敵はアメリカを中心とする資本主義社会であり、それに対抗することに自分たちの存在意義があった。

ところが八〇年代、小平の主導する改革・開放路線に伴い上海、天津などに設置された経済開発区が成果を挙げ、小平は九二年に“一国二制度”で経済発展の加速を呼びかける「南方講話」を発しました。

ここが、反資本主義教育の転換点だったのです。

「資本主義の否定」の否定、というのは共産党の存在意義を揺るがしかねません。そこで、もうひとつの創業の理由である「抗日」がにわかにクローズアップされた。反米・反資本主義がなくなり、抗日だけが残ったわけです。