いま「本物の資本主義」が日本社会を揺さぶっている。大きな仕組みには、もう頼ることはできない。自分で考え、自分で決めるための「武器」とは──。

東日本大震災が起きた11年3月11日以降、これからの時代を生き抜くためには、自分で考えて自分で決断する必要があることが、誰の目にも明らかになりました。これまで多くの人が「きちんと仕事をしているだろう」と思っていた日本政府や東京電力のような巨大企業も、国民の生命の危機に際し、まったく頼りにならないとわかってしまった。この衝撃は非常に大きかったと思います。

京都大学客員准教授 瀧本哲史氏

どんな権威にも、もはや頼ることができない。そんな時代だからこそ、自分で考えて自分で決めることが、ますます重要となってくる。これは私が11年9月に上梓した『武器としての決断思考』『僕は君たちに武器を配りたい』という2冊の本にも共通するテーマです。

現在の日本は、明治につくられた国家の仕組みが崩壊する過程にあります。より安く、より性能のいい製品を作れば経済成長できるという思想に基づき、欧米に対するキャッチアップの努力を100年以上続けてきました。教育システムでは、地方の優秀な学生を東京大学に吸い上げ、有能な「国家の家来」となる人材を大量生産してきました。それは明治当時の新興国だったアメリカやドイツに倣ったやり方でした。明治維新では、高杉晋作や坂本龍馬といった国を揺るがす革新的人物が相次いで現れましたが、そうした天才ではなく、秀才を養成するシステムです。現在まで、「第2の高杉晋作」は、必要とされない時代が続いてきました。

「学習」自体が目的化。英語で年収増はムリ

しかし最近、この「発展途上国モデル」が通用しなくなってきました。日本が得意としてきたモノづくりはアジアの新興国に市場を奪われ、少子高齢化が進み国内需要は減少、雇用は失われ、円高による輸出への大打撃と、まったく明るい兆しが見えない状況となっています。

この日本の苦境の背景にある原因の1つが、全産業のコモディティ化です。コモディティとは本来「日用品」を指す言葉ですが、経済学では産業の発展にともない、企業間で製品に有意な差がなくなり、どの会社のどの商品を買っても同じとなった状況をそう呼びます。日本企業の多くが価格競争で疲弊し、利益がどんどん減っているのもコモディティ化が大きな要因です。そして深刻なのは、商品だけでなく、働く人材にもコモディティ化の潮流が押し寄せていることです。